『べらぼう』胸熱な「そうきたか!」源内生存説で笑顔が戻った蔦重夫婦に対し、闇堕ちの歌麿…【前編】:3ページ目
闇堕ちして独りになっていく歌麿
一方、自分から蔦重を見切ったことで孤独に追い込まれていったのが歌麿でした。遊郭で本屋を呼び賑やかな宴を開き「派手に紙花(客の祝儀)をばら撒いた者から仕事を受ける」と豪語。本屋たちがこぞって紙花を撒き、花魁たちは「こんな宴席はひさしぶり」と喜びます。
歌麿の据わったような暗い眼差しと「派手にばら撒け」とドスの効いた声で、皆に命じる様子は、まるで花や虫などを見つめて“その命を写しとろう”としながら描いている絵師の姿とは、別人のよう(SNSでは「麒麟が来る」の信長が再来したようだと話題に)でした。
そんな宴の席で、鶴屋(風間俊介)に自分の下絵を蔦重が彩色柄入れして仕上げた作品『歌撰恋之部』を見せられ、しばし見入っていました。
「さすが蔦重、俺の好みを分かってるな」という驚きともに、「俺の好みは熟知しているくせに、何で俺の気持ちはまったく分かんねえのかな」という怒りの両方が込み上げたような表情でした。
絵のサインが「歌麿の名前より蔦屋の印が上にある」ことを指摘したのになぜ直さないんだ!という意見もありますが、そこは決別した大きな理由ではないでしょう。蔦重も「どういう売り方をするかによって絵師の名前と版元の印の位置は変わる」と説明してました。
版元印は「責任者が誰であるかを明確にする」もの。この当時、美人画に「看板娘の名前や店の名を入れて宣伝してはいかん」というお達しも出ています。
『歌撰恋之部』が幕府に文句を付けられないよう、責任者は自分ですという意味で歌麿の名前よりも上に配置したのではないでしょうか。もしくは、「お前は今でも蔦屋の仲間だ」という意味を込めたのか、「お前は、印の上下で怒っていたわけじゃあねえよな」というメッセージなのか、いろいろ推測できます。
歌麿が「売るつもりはない」と蔦重にあげた下絵を「勝手に売るなんて」と怒る意見もありますが、そもそも蔦重は下絵が自分への恋文だとは思っていません。
いい出来栄で評判になれば、約束してきた「江戸一の絵師にする」のサポートになるし、蔦重と離れてフリーになる歌麿にはいい宣伝になり、店にとっても収益になりますし。
