大河予習【豊臣兄弟!】秀吉を支えた兄弟の絆…仲野太賀が演じる戦国武将・豊臣秀長の生涯:2ページ目
兄弟で死線をくぐる
かくして秀長が百姓から武士となった時期について、はっきりした事は分かっていません。
推測される限り、永禄3年(1560年)に信長が今川義元を撃破した桶狭間の合戦以降から、美濃国攻略以前と考えられます。
尾張一国を統一した信長は美濃国(岐阜県南部)へ進出。秀長も秀吉に連れられて、その最前線を駆けずり回ったことでしょう。
才気走るあまり、往々にして敵も作りがちだった秀吉のフォローに奔走し、蜂須賀正勝(はちすか まさかつ)や前野長康(まえの ながやす)、竹中半兵衛(たけなか はんべゑ)らを味方に加えていきました。
こうした秀長たちの支えもあって、秀吉は着々と織田家中における地位を向上させていったのです。
しかし秀吉の天下獲りは常に順調だった訳ではなく、時には生死の境をくぐり抜けねばならないこともありました。
例えば元亀元年(1570年)の金ヶ崎合戦では、織田家の盟友であった浅井長政(あざい ながまさ)の裏切りにあい、背後から襲撃を受けてしまいます。
大混乱の中で信長は真っ先に逃げ帰り、秀長は殿軍(しんがり)を引き受ける秀吉に従いました。
秀長はわずかな手勢で金ヶ崎城(福井県敦賀市)に立て籠もり、敵の追撃を食い止める役割を担います。
幸い敵も追撃するほどの余裕はなかったようで、秀長も秀吉も命拾いしたのでした。
こうした危険な任務を成功させたことで、秀吉兄弟は百姓上がりであっても一目置かれるようになっていったのです。
