【べらぼう】後に松平定信の排除を図り…本多忠勝の血を引く老中「本多忠籌」の信念と結末:2ページ目
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かつての盟友・松平定信を排斥
天明8年(1788年)には側用人、寛政2年(1790年)には老中格となり、松平定信や松平信明(福山翔大)らと共に寛政の改革を推進していきます。
忠籌は最上徳内『蝦夷草紙』を読み、国防の重要性を痛感。蝦夷地を天領(幕府の直轄地)として開拓を進め、ロシアの南下に対抗するように主張しました。
しかし定信は従来通り松前藩に治めさせるべしとして反対、蝦夷地の天領化が実現したのは退任後の文化8年(1811年)となります。
次第に独裁色を強める定信の排斥を図り、寛政5年(1793年)7月に一橋治済(生田斗真)の賛同を得て、定信を老中解任に追い込みました。
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これを機に、財政を握る老中勝手掛を月番制とすることで権力の集中を予防します。
やがて寛政10年(1798年)に老中を辞任し、翌寛政11年(1799年)に家督を譲り、隠居しました。
そして文化9年(1812年)12月15日、74歳で世を去ります。
終わりに
本多忠籌
徳川家斉(城 桧吏)の政治体制のもとで刷新された寛政の改革を担う幕臣。
※NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」公式サイトより。
今回は松平定信に諫言した本多忠籌について、その生涯をたどってきました。
定信が失脚し、蔦重が世を去る寛政9年(1797年)以降も活躍するため、最終回まで登場するかも知れません。
これからも、矢島健一の好演に期待しましょう!
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※参考文献:
- 黒田源六『本多忠籌侯伝』本多忠籌侯遺徳顕彰会、1942年
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