「べらぼう」身上半減の実際、ていの儒学バトル、鬼平爆誕!など史実を元に10月12日放送の内容解説:2ページ目
お白洲でも悪びれない蔦重
どっからどう見ても洒落本(好色本。性風俗書籍)なのに、教訓読本(道徳書)の袋に入れたり、文中に注釈を入れたり……これでどうしてイケると思ったのでしょうか。
「自分は好色本のつもりではないから好色本ではない」
そんな理屈が罷り通るなら苦労はしません。いや、むしろ周りが大迷惑です。
関連記事:
【べらぼう】山東京伝が手鎖刑&絶版となった洒落本『仕懸文庫』の内容やあらすじを紹介
時は寛政3年(1791年)、山東京伝(古川雄大)が蔦重(横浜流星)の耕書堂から洒落本『仕懸文庫(しかけぶんこ)』を出版しました。同時発売の『娼妓絹篩(しょうぎきぬぶるい)』『青楼昼之世界錦之裏…
これを好色本か教訓読本かを決めるのは、うぬ(お前=蔦重)ではなく私(松平定信)である……つまり「お前ら庶民は、権力者に黙って従え」当時にしてみれば、それが当たり前の感覚でした。
「かような(当局の意に沿わぬ)ものは二度と出さぬと誓え」
さすれば温情をかけてやらんでもない……定信の命令に、ハイと従う蔦重ではありません。
白河の 清きに魚 住みかねて
元の濁りの 田沼恋しき
5歳で論語を諳(そら)んじられた、世にも稀なる賢き定信様はならば、私が今回の教訓読本を出版した底意をお見通しのはず。
あくまで教訓というテイで好色本を出版し、これを見逃す越中守様はお堅いフリして、実は解っていらっしゃる。そう庶民が感じることであなたの改革はスムーズに進むでしょう。
これからも越中守様の御政道をお助けするべく、本屋なりの分に励んで参ります……とまぁ実に見事な屁理屈でした。
が、それを受け入れる度量があったのは田沼様だけ。ふんどしの守様は蔦重一味に厳しい拷問を加えることになります。

