「べらぼう」身上半減の実際、ていの儒学バトル、鬼平爆誕!など史実を元に10月12日放送の内容解説:3ページ目
ていvs柴野栗山の儒学バトル
このままでは、蔦重が打ち首にもされかねない……夫の身を案じるおていさんは、決死の覚悟で定信の側近である柴野栗山(嶋田久作)に命乞いをしました。
てい「子(し)曰(のたまわ)く、之(これ)を導くに政を以てし、之を斉(ととの)うるに刑を以てすれば、民免れて恥無し。之を導くに徳を以てし、之を斉うるに礼を以てすれば、恥有りて且つ格(いた)る」
【意訳】かつて孔子はおっしゃった。社会を法律で縛り、刑罰で脅せば、人々は何とか法の抜け穴を探すようになります。一方で道徳をもって社会を導き、礼節をもって接するならば、人々は自ずから行いを正すようになります」
要するに「厳しい統制や刑罰を加えるよりも、国民ひとり一人が自発的によりよく生きようと思える政治が大切だ」ということです。
しかし栗山先生も揺るぎません。
栗山「君子は中庸(ちゅうよう)し、小人(しょうじん)は中庸に反す。小人が中庸に反するは小人にして忌憚(きたん)なきなり」
【意訳】まともな人間はバランス感覚を保ち、くだらん人間は極端な行動に出る。そういう輩は恥を知らないゆえに極端な行動に出るのだ。
一度許したにもかかわらず、性懲りもなく好色本を出した蔦重を許せば、どうせ三度四度と罪を重ねるだろう。そんな者を許し続ける理由がどこにある?とのことでした。
そこへおていさんは切り出します。
てい「義を見てせざるは勇なきなり」
今回の出版は、女郎たちの窮状を世に広め、親孝行のために身を売った彼女たちを救う義によって行動を起こした勇に他なりません。
たとえ独善的な面があったにせよ、不遇な孝女を助ける義勇の振る舞いに対して、儒の道にかなうお裁きをお願いしたい……そんなおていさんの姿が視聴者の胸を打ちました。
