なぜ「鰹節」にカビをつけるのか?江戸時代の日本で完成した画期的な発酵の知恵:2ページ目
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江戸後期には、各地で鰹節の産地競争も起こります。薩摩の鰹節は「本枯れ節」と呼ばれ、品質の高さで知られるようになり、土佐節、伊豆節などと並んで江戸の市場に並びました。
庶民にとっても鰹節は欠かせない調味料となり、贅沢な味わいを演出する食材として広まっていったのです。
つまり江戸時代は、鰹節が「戦国武士の兵糧」から「日本の食文化の象徴」へと生まれ変わった時代でした。そしてこの時期に築かれた技法と味覚が、現代の和食にそのまま受け継がれているのです。
実は外国にもある鰹文化
実は、鰹を乾燥させて保存する文化は日本だけではありません。インド洋のモルジブでは「ヒキ・マス」と呼ばれる保存食があり、1300年代には海外輸出もされていました。日本と南の島、遠く離れた地域が同じ魚を工夫して利用していたなんて、ちょっと不思議ですね。
こうして振り返ると、鰹節はただのだしの材料ではありません。古代の献上品であり、戦国時代の武士を支えた兵糧であり、江戸時代に洗練された食文化の礎でもありました。その存在は、いつの時代も人々の暮らしに深く関わってきたのです。
だからこそ、私たちが日々飲む味噌汁の一杯には、千年を超える知恵と工夫の歴史が溶け込んでいます。そう思いながら箸を手に取ると、普段の食事も少し特別なものに感じられるのではないでしょうか。
参考文献 :宮下章『ものと人間の文化史シリーズ97 鰹節』(2000 法政大学出版局)
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