暗殺という非業の最期… 過激な思想で幕末〜明治の日本を揺さぶった異端児・森有礼の生涯【後編】:2ページ目
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国語外国語化論と批判
森の最も有名な主張の一つに「国語を英語に」という案があります。これは日本が欧米に追いつくために有効だと考えた提案でしたが、馬場辰猪や西周らが強く反対し、大きな論争となりました。
当時の国民感覚からすれば受け入れがたい発想であり、森の急進性が際立つ例でもあります。
暗殺という最期
森の改革的な姿勢は、同時代の保守的な人々に強い反発を呼びました。とくに「伊勢神宮不敬事件」と呼ばれる噂が流れ、森が神聖な場所を軽んじたという疑惑が広まりました。真偽は不明ですが、これが彼への不信を増幅させたといわれます。
そして1889年2月11日、大日本帝国憲法発布の日。森は式典に向かう途中で国粋主義者・西野文太郎に襲撃され、翌日息を引き取りました。享年43歳。
外交官、教育者、政治家として日本の近代化に尽くした森有礼。その生涯は短くも激しく、時代の先を行く思想で社会を揺さぶりました。もし彼が生き続けていたなら、日本の教育や文化はさらに違った形をとっていたかもしれません。
参考文献
- 大久保利謙 編『森有禮全集』(1972 宣文堂書店 )
- 木村力雄『異文化遍歴者森有礼』(1986 福村出版)
- 木村匡『〈伝記叢書〉森先生伝:伝記・森有礼』(1987 大空社 )
- 上沼八郎・犬塚孝明 共編『新修 森有禮全集』(1999 文泉堂書店 )
- 犬塚孝明『〈人物叢書〉森有礼』(2003 吉川弘文館 )
- 国吉栄『森有礼が切り拓いた日米外交:初代駐米外交官の挑戦』(2018 勉誠出版 )
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