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悲劇のヒーロー楠木正成、盟友・足利尊氏との宿命の戦いで散った忠臣の最期と”伝説化”の道【後編】

悲劇のヒーロー楠木正成、盟友・足利尊氏との宿命の戦いで散った忠臣の最期と”伝説化”の道【後編】:2ページ目

計略も無視され、死地に追い込まれた正成…湊川の地に出陣!

建武3年(1336年)の5月、迫り来る尊氏に手を焼いた朝廷は、謹慎させた正成を呼び出して尊氏迎撃の戦略を述べさせます。

「天子様は京都を離れて、比叡山にご避難下さい。足利軍を京都に誘い込み、ワシと義貞で敵の輸送路を断って兵糧攻めにすれば勝てます」

こうした正成の実利的な案に対し、武士を軽く見ていた公家衆は猛反対した挙句、彼の努力と貢献を踏みにじります。

「君は、二度も陛下に都落ちさせて権威を損なう気かね?」
「皇室が天の加護を受けているから、偉大なる朝廷は勝ったのだ」

その上、頼みにしていた後醍醐天皇までも彼らの言葉に乗ってしまいます。こうして正成は、士気も兵数も劣る状況下で、湊川で尊氏を迎え撃つことになったのです。

正成、愛する息子に未来を託す…桜井の別れ

正成は、湊川に行く途中で桜井の駅(大阪府)に立ち寄り、長男の正行(まさつら)を呼んで彼を故郷に逃がします。正行はそれを拒否し、「僕も父上のお供がしたいです」と訴えるのですが、正成は彼を諭しました。

「お前の顔を見るのも今日で最後…足利殿は確実に天下人となるだろうが、お前は忠誠心を忘れずに朝廷をお守りするのじゃ。一族郎党を一人でも生き残らせて、いつの日か朝廷の敵を倒しておくれ」

そう言うと、正成は後醍醐天皇から頂いた菊水の紋を入れた短刀を授けて楠木家の未来を託し、最愛の息子と涙ながらに別れたのでした。

5月24日、正成は湊川に到着して義貞と合流します。連戦連敗の義貞は尊氏にはどうしても勝てず、苦悩していました。義貞嫌いのイメージが強い正成ですが、追い込まれて憔悴しきった義貞を慰めて酒を酌み交わします。その義貞と楽しんだ酒盛りこそ、正成にとって最後の晩餐となったのでした。

3ページ目 激戦、湊川の戦い!されど、正成の天命は尽きていった…

 

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