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「べらぼう」胸に息づく平賀源内のあの言葉!怒りで暴徒と化す ”新之助の義” に粋に訴えた ”蔦重の義”【後編】

「べらぼう」胸に息づく平賀源内のあの言葉!怒りで暴徒と化す ”新之助の義” に粋に訴えた ”蔦重の義”【後編】

「妻子が殺された現実から逃げずにきちんと向き合わねば」と言っていた新之助は、「世の中が悪い、田沼意次(渡辺謙)が悪い」という考えに囚われデマに煽動され、蔦重の「もうすぐ田沼様が米を配ってくれる」という声に耳を貸さずに、己が「義」と感じる「米屋の打ち壊し」へと猛進する一方。

新之助を心配する蔦重は「田沼の手先に話せることはないな」と吐き捨てられた挙句に、興奮した長屋の長七(甲斐翔真)らにボコボコにされてしまいます。

血を流しつつ立ち上がった蔦重に浮かんだ言葉は「くっそ〜、馬鹿どもめ」でも「新之助のやつめ」でもなく、「我が心のままに生きる」という平賀源内(安田顕)の言葉。

暴徒となり「打ち壊し」をすることが「義」とする新之助に対し、蔦重ならではの「義」が始まりました。

【前編】の記事はこちら↓

「べらぼう」が描く問題はまるで今の日本。怒りで暴徒と化す ”新之助の義” に粋に訴えた ”蔦重の義”

「皆 己の金のことしか考えぬ。さような田沼が作ったこの世に殺されたのだ!」それをおかしいと言うことも許されるのか?…こんな世は正されるべきだと声をあげることも?…べらぼう32回『新…

平賀源内の言葉が胸に息づいている蔦重の義

「米を売らないほうが儲かるから米屋は売らない。それを罰するほうも共に儲けているから罰しない。そんな己の金のことしか考えない田沼の作ったこの世に(妻子は)殺された」

新之助のこのセリフは、まるで令和の今を表しているようで、いつもタイムリーな森下脚本には驚かされます。

そして、新之助は、一方的な情報(政治の失敗は「すべて田沼のせい」)しか耳に入らない世界で生きているため、「義憤にかられて打ち壊しをすること」が己の「義」と考えてしまうのでした。

真実は、田沼は“お救い米”を配るために奔走→“田沼憎し”しか頭にない松平定信(井上祐貴)が米の調達を遅らせる→蔦重の配った読売(瓦版)で“20日に米が届く”と信じていた民衆は激怒し、奉行所に詰めかける→突然男が「役人が米がないなら犬を食えと言った」と叫んで怒りを煽る→そのデマを信じた民衆がさらにエキサイト→打ち壊しへと猛進

……ほかの地域で打ち壊しが起こっていることもあり、民衆は「いざ打ち壊しへ!」と盛り上がります。このムーブは止めようもないと思った蔦重。一度「これが正義!」と思い込んだ人の「義」は、「それはおかしい」と諌める声は耳に入らないまま、大きな渦となり破滅の方向に「それが正しい」と突き進んでいきます。

そんな新之助の姿を見て、蔦重はかつて平賀源内(安田顕)が胸に手を当てて語った言葉を思い出しました。「自らの思いによってのみ、我が心のままに生きる。わがままに生きることを自由に生きるって言うのよ」という言葉。「わがままを通してんだから、きついのは仕方ねぇよ」と笑っていた源内。

誰かに命じられたわけでもなく己の意思で人生を選ぶ。わがままに自由に生きる。だから、自分の思いのまま打ち壊しをする。そんな新之助の「自由」を蔦重がとめる権利はない。

けれども、そうであるならば、その新之助の「義」がせめて「正しく世の中に伝わる」方法を示し、死者がでるなど後悔するような結果に終わらせない、と決意する蔦重。同じ源内先生の弟子であった「新之助の義」を、放置しないし、傍観もしないで正しい方法で叶えるために手伝う……それが「蔦屋重三郎の義」なのでした。

2ページ目 声高に叫ぶだけではなく主義主張を明確にする

 

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