「べらぼう」終わらない悲劇、次に犠牲になるのは?殺された母子と壮絶な将軍の最期…二つの無念の死【後編】
NHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」第31回「我が名は天」では、災害・社会不安・貧困の中で、何の罪もないふく(小野花梨)と赤ん坊の命が奪われ、巧妙な手段でおのれが「天」になろうとする一橋治済(生田斗真)に、将軍・徳川家治(眞島秀和)の命が奪われました。
【前編】の記事はこちら↓
大河「べらぼう」殺された母子と壮絶な将軍の最期〜江戸を襲った洪水が引き起こす無念の死【前編】
世の中を冷静に見ることができ、聡明で優しく強い女性、ふく(小野花梨)は、貧困で苦しむ同じ長屋の住人夫婦に、赤ん坊ともどもに殺されてしまいました。まさに「恩を仇で返す」所業。土下座して泣いて謝罪する下手人夫婦に、新之助(井之脇海)は、「貧しさに困窮している自分も、同じことをしてしまうかも」と感じ、激しく罵倒し怒りをぶつけることができませんでした。
妻子を弔った土まんじゅうを前に「もう、どこまで逃げても逃げ切れねえ気がする。いや、もはや逃げてはならぬ気もする、この場所から…」とつぶやく新之助。その持って行きようのない怒りは、社会への怒りへと向かっていくのでしょう。
抑圧の中で生きる江戸庶民達の中で起こった悲劇の死。そして陰謀うずまく江戸城内でも悲劇の死が引き起こされました。
【後編】では、こちらも理不尽な殺され方をした将軍・徳川家治(眞島秀和)の無念を振り返ってみます。
庶民の暮らしはますます苦しくなる一方で
浅間山の噴火、利根川の決壊による大洪水、食糧不足、物価高で生活苦はより深刻化する中で、田沼意次(渡辺謙)が出す『貸金会所令』を打ち出す話が噂になります。
「家主から金を集めそれを資金源に経済を立て直す制度」ではあったのですが、御救米(被災者を救済するための施し米)も満足に行き渡らないのに「金だけ取るのか」と庶民の怒りは膨れ上がります。
新之助やふくに「金の徴収対象になるのは家主だから、あんたたちは対象外」と説明する蔦重(横浜流星)に返したふくの言葉に、思わず頷いた人も多かったのではないでしょうか。
「家主は金を出せと言われたら店賃を上げるさ。米屋は米の値を上げるし油屋は油の値を上げる。庄屋は水呑百姓からもっと米を取る。吉原は女郎からの取り分を増やすだろうね。つまるところ、ツケを回されるのは、私らみたいな地べたを這いつくばってるやつ」
吉原を足抜けしてから、貧困の中で苦労してきたふくは、蔦重よりも世の中の不条理さが肌身に染みているせいか、時々、蔦重が思わず黙りこむような鋭い意見を放ちます。
以前、田沼意知(宮沢氷魚)を斬った佐野政言(矢本悠馬)を「佐野大明神」と崇める風潮に苦言を呈した蔦重に「拝んで米の値が下がるなら、いくらだって佐野って人を拝むよ」とシビアな意見を言っていましたね。
極度の生活苦と貧困で疲れ果てた人々は、安易な陰謀論に乗り真実から遠ざかってしまう。けれども、食べるものがなければ死んでしまう。おかしいと思っても米が手に入るなら、陰謀でも何でも「佐野を拝む」というふくの言葉は、リアルに刺さりました。
そんなふくだからこそ、同じ貧困に苦しむ同胞を見捨てることはできず、自分は他の人よりも少しは恵まれているからと、温かい気持ちで乳を分けるという行為ができたのでしょう。


