【べらぼう】人々の怒りが頂点に…田沼意次を失脚に追い詰めた「新之助の義」天明の打ちこわしとは?:4ページ目
打ちこわしの被害や結果
以上が天明の打ちこわしにおける概略ですが、江戸での被害は商家500軒余り(一橋家調べ)。そのうち400軒以上が米屋・米搗屋・酒屋など食料品関連店でした。他は米騒動に乗じて米を買い占めた商家などと思われます。
打ちこわし勢は破壊活動だけでなく押し買い(押し売りの逆で、安値で強引に買うこと)も行っており、彼らが思う適正価格で売らせました(拒否すれば打ちこわし)。
いっぽうで米不足の中でも適正価格で米を売り続けた米屋などについては打ちこわしの標的から外しており、商人としての社会的責任を果たしたか否かで明暗が分かれたようです。
打ちこわしの参加者はおよそ5,000人ほどと記録されており、その内逮捕者は37名、逃走した指名手配犯5名と極めて少数(全体の1%未満)でした。
また首謀者(指導者)の存在は確認されておらず、義憤に駆られた江戸の人々が自然発生的に暴徒化したものと考えられています。
それであの秩序だった打ちこわしを実現できたのだとしたら、日本人が持つ団結力と協調性の高さに恐れ入るばかりですね。
天明の打ちこわしが行われた結果、幕府でも遅まきながら貧民に対する救済策がとられるようになりました。
しかし幕府の権威が根底から揺らぎ、人々からの信頼が失われつつある中、天明末期から寛政初期にかけて大政委任論が唱えられるようになります。
これは「天皇陛下=朝廷の権威を為政者たる裏づけとする」思想で、もはや幕府のみの権威では、人々が心服しなくなった証左と言えるでしょう。
それまで幕府に押さえつけられていた朝廷の権威と政治力が相対的に高まっていくのでした。
終わりに
今回は人々の怒りが幕府の権威を根底から揺るがした大騒動「天明の打ちこわし」について紹介してきました。
NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」第32回放送「新之助の義」の予告編で「田沼の手先に話すことはない」と蔦重(横浜流星)に言っていた声は新之助(井之脇海)でしょうか。永年助け合ってきた二人ですが、このまま訣別してしまうとしたら残念でなりません。
果たして新之助はどのように義を貫き通すのか、心して見守っていきましょう!
※参考文献:
- 安藤優一郎『寛政改革の都市政策』校倉書房、2000年10月
- 岩田浩太郎『近世都市騒擾の研究』吉川弘文館、2004年7月
- 片倉比佐子『天明の江戸打ちこわし』新日本出版社、2001年10月

