【べらぼう】人々の怒りが頂点に…田沼意次を失脚に追い詰めた「新之助の義」天明の打ちこわしとは?:2ページ目
いざ決起!「まことに丁寧、礼儀正しく」乱暴狼藉
それまでも5月12日ごろから江戸の各所で小規模な打ちこわしが散発していたものの、5月20日の打ちこわしは桁違いのものとなります。
赤坂で米屋や米搗屋が20〜30軒ほど襲撃され、夜には深川でも打ちこわしが行われました。
明けて5月21日、夜の内に決起の情報が広まったようで、江戸のほぼ全域で打ちこわしが始まります。
打ちこわし勢は鐘や半鐘、太鼓に拍子木、金盥(かなだらい)など打ち鳴らしながら米の買い占めを行う商家などに大挙しました。
みんな手に手に棒やら鍬(くわ)やら鋤(すき)やらを振りかざし、大八車で商家の門戸を打ち破るさまは、さながら城攻めを思わせます。
「かかれ!」
合図が下されるとみんな一斉になだれ込み、手当たり次第に破壊したのでした。
彼らは米・麦・豆・味噌・酒などを路上にぶちまけたり川へ投げ込んだり、家財に商売道具など徹底的に破壊の限りを尽くします。
しかし興味深いのは、彼らが打ちこわしに乗じた略奪行為に及ばなかったこと。うっかり家事など出さないように火の元はあらかじめしっかりと消し、住む場所がなくなったら困るだろうからと建物までは壊しません。
また破壊行為は合図によって始まり、合図によって休憩が入ります。そして合図で始まり合図で終わるという秩序だった集団行動は、世界史上でも奇異な暴動でした。
彼らはあくまでも悪徳商人らに対して社会的制裁を加えたいのであって、決して力ずくで盗みや強盗を働きたいわけではなかったのです。
そんな打ちこわしの様子を、ある水戸藩士が「まことに丁寧、礼儀正しく狼藉」を仕ったと記録しています。丁寧かつ礼儀正しい乱暴狼藉というものが、ここでは両立していました。
しかし5月22日ごろになると、打ちこわしに乗じて米などを盗む者が現れ、よほど追い詰められていたことが分かります。
