【べらぼう】人々の怒りが頂点に…田沼意次を失脚に追い詰めた「新之助の義」天明の打ちこわしとは?:3ページ目
5月25日まで続いた打ちこわし
江戸じゅうが打ちこわしの熱狂に沸き立つ中、町奉行所の反応は今一つでした。
江戸城では寺社奉行・勘定奉行・町奉行が対応を協議。口論の末に不作為を責められた曲淵景漸が渋々?鎮圧に出向いたものの、あまりの勢いを前に、思い切った態度がとれません。
「普段ならお奉行様を敬いもする。しかしここまで我らを見殺しにしておいて、今さら何を恐れ憚る必要があるものか。近寄ったら叩き殺すぞ!」
「今、江戸じゅうで人々が苦しんでいるのを見て見ぬ振り。御公儀は誠にむごく不仁な御政道をなさいますなぁ!」
暴徒らに罵倒されて仕方なく、打ちこわしに乗じて盗みを行う者を逮捕する程度にとどまりました。
もはや町奉行の手に余るため、5月23日に入って長谷川平蔵ら先手組10名に市中取締が命じられます。
「騒ぎを起こす者を捕らえて町奉行へ引き渡せ。抵抗するならば斬り捨てても構わぬ」
かくして市中へ繰り出した平蔵たちですが、これもはかばかしい成果が出ません。商家などではお上を当てにせず、自衛のために木戸を封鎖し、各個に武装を固めるのでした。
いっぽう打ちこわし勢も大いに暴れ済んだのか、5月24日には芝や田町で打ちこわしを行ったものの、5月25日にはほぼ沈静化したそうです。
