【べらぼう】に登場!江戸文芸界を代表する存在、戯作者・芝全交(亀田佳明)の生涯をたどる:2ページ目
芝全交の主な著作・寛政期
寛政元年(1789年)
- 『引返狸之忍田妻(ひっかえし たぬきのしのだづま)』
寛政2年(1790年)
- 『玉子の角文字(たまごのかくもじ)』
- 『俵藤太振出百薬(たわらとうた ふりだしぐすり)』
寛政3年(1791年)
- 『京鹿子娘鯲汁(きょうかのこ むすめどじょうじる)』
寛政4年(1792年)
- 『鼻下長物語(はなのしたながものがたり)』
寛政5年(1793年)
- 『十四傾城腹之内(じゅうしけいせい はらのうち)』
やがて芝全交は寛政5年(1793年)5月27日に44歳で世を去りますが、その後も遺稿が出版されました。
寛政6年(1794年)
- 『全交法師常々艸(ぜんこうほうし つねづねぐさ)』
寛政10年(1798年)
- 『素後壮雪信(しろきおのち おとこゆきのぶ)』
……など。
芝全交が亡くなると、藍庭林信(晋米斎玉粒)が2代目芝全交を襲名しました。他にも芝甘交(かんこう)や芝晋交(しんこう)などの弟子がいます。芝~交に一門のこだわりがあったのでしょうか。
