『べらぼう』片岡鶴太郎の名演が話題、鳥山石燕の生涯と「辞世の句」歌麿との実際の関係とは:2ページ目
歌麿との関係
劇中では唐丸(歌麿)に妖怪画を写させていた石燕。実際に歌麿の幼少期からつき合いがあったようで、歌麿が天明8年(1788年)に刊行した『画本虫撰(えほん むしゑらみ)』では、こんな序文を寄せています。
……今門人歌麿が著す虫中の生を写すは是心画なり、哥子幼昔物事の細成か。ただ戯れに秋津虫を繁ぎはたはた蟋蟀を掌にのせて遊びて、余念なし……
【意訳】今回、弟子の歌麿が出版した虫の画集は、彼の心を表わしたものである。歌麿は幼少期から物事を細かく観察する子であった。トンボをつないで飛ばせたり、コオロギを手の上に乗せて遊んだりなど、余念がなかった。
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劇中では石燕の最晩年に弟子入りする流れになっていましたが、実際は比較的若い内から弟子入りしていたのでしょう。
石燕の画風が歌麿にどのような形で継承されているのか、両者の類似作品を見比べてみるのも面白そうですね。
妖怪画の権威として
そんな石燕は安永5年(1776年)に妖怪画集『画図百鬼夜行(がず ひゃっきやこう)』を出版。
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これが人気を呼んで安永8年(1779年)には続編となる『今昔画図続百鬼(こんじゃくがず ぞくひゃっき)』を出版します。
続いて安永10年(1780年)には『今昔百鬼拾遺(こんじゃく ひゃっきしゅうい)』を刊行、そして天明4年(1784年)には『百器徒然袋(ひゃっきつれづれぶくろ)』を世に送り出しました。
【画図百鬼夜行の妖怪たち】
- 前編陰:15種類
- 前編陽:22種類
- 前編風:15種類
※小計:52種類。前編しかないのは、次回出版を後編と位置づけていたのでしょうか。
【今昔画図続百鬼の妖怪たち】
- 上之巻/雨:14種類
- 中之巻/晦:21種類
- 下之巻/明:19種類
※小計:54種類。各巻のサブタイトルは雨が降って晦(暗)くなり、やがて明るくなる意と考えられます。
【今昔百鬼拾遺の妖怪たち】
- 上之巻/雲:16種類
- 中之巻/霧:19種類
- 下之巻/雨:15種類
※小計:50種類。各巻のサブタイトルは雲が出て霧が立ち込め、そして雨が降り出す様子を表現したのでしょうか。
【百器徒然袋の妖怪たち】
- 巻之上:14種類
- 巻之中:23種類
- 巻之下:12種類
※小計:49種類。各巻のサブタイトルがなくなりました。
合計で205種類もの妖怪を描き出した石燕。現代に伝わる妖怪のイメージは、鳥山石燕によるところが大きいと言えるでしょう。






