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『べらぼう』片岡鶴太郎の名演が話題、鳥山石燕の生涯と「辞世の句」歌麿との実際の関係とは

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俳人としても活動

妖怪絵師として有名な鳥山石燕は、俳句も嗜んでいたそうです。東流斎燕志(とうりゅうさい えんし)に弟子入りし、句集に句や挿絵などを寄せたと言います。

そんな石燕は、こんな辞世を詠みました。

隈刷毛の 消ぎはを見よ 秋の月

【歌意】隈刷毛(くまはけ)で、色彩の境界をなじませた秋の月の消際(けしぎわ。始末)が、何と美しいことだろう。その技法を、ぜひ学びたいものだ(または学ぶとよい)。

夜空に浮かぶ明月を浮世絵に見立て、暗い夜空と明るい月の境界線を隈刷毛で仕上げた巧みな表現に惜しみない賛辞を贈っています。

生涯尽きることのなかった探求心を、浮世絵においてのみならず、俳句でも表現していました。

鳥山石燕は天明8年(1788年)8月23日、喜寿(77歳)で世を去ります。墓所は光明寺(東京都台東区元浅草)、法名は画照院月窓石燕居士(がしょういん げっそうせきえんこじ)。

終わりに

今回は喜多川歌麿の師であった妖怪画の権威・鳥山石燕についてその生涯をたどってきました。

大河ドラマでは、スランプに陥っていた歌麿を「三つ目(妖怪が見える能力=第三の目を持つ者)」と呼び、その使命を説きます。

三つ目を持つ者は、自分が見えたモノを写すだけでいい。むしろ写さなければ消えてしまうモノを、写してやらなければならない。

見える者が見えるモノを写してやらなければ、そのモノは誰にも見えぬまま消え去ってしまう。だからそれを写して誰かに見えるようにしてやるのが、三つ目の絵師に生まれついた者の務めである……そんなことを言っていました。

果たして本当に石燕が「三つ目」を持っていたのか、そして歌麿にも三つ目があったのかは分かりません。多分ありそうな気もしますし、なかったとしても別にどうでもいいことです。

歌麿「いい加減だなぁ」

石燕「そのくらいが、ちょうどいいのさ」

かくして自分ならではの画風を確立すべく、新たな一歩を踏み出した歌麿。石燕との再会を通じて、きっと一皮むけてくれることでしょう。

※参考文献:

  • 鳥山石燕『鳥山石燕画図百鬼夜行全画集』角川ソフィア文庫、2005年7月
  • 吉田漱『浮世絵の見方事典』北辰堂、1987年7月
 

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