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実は江戸時代の「百姓一揆」は作法やルールが決まっていた!意外な“一揆マナー”の実態

実は江戸時代の「百姓一揆」は作法やルールが決まっていた!意外な“一揆マナー”の実態:3ページ目

「女性」「武器」はNG

一揆について領内の各地に知らせる際には、一揆の目的や集合する日時、参加しない場合の制裁方法などを記した廻状が作られました。

都市における打ちこわしの場合、張札が用いられることが多かったようです。

また動員の対象となるのは原則として男性であり、女性が加わることはほとんどありませんでした。

米騒動や女性の労働に関わる問題で強訴する場合には女性が加わった例もありますが、打ちこわしなどの暴力行使が始まると、後景に退くのが一般的でした。

強訴の開始の合図は決まっており、かがり火を焚いたり、法螺貝を吹いたり、半鐘を鳴らしたりするなどします。視覚・聴覚を通して、日常とは異なる行動が始まったことを知らせたのでしょう。

強訴の際に一揆勢が持ち出したのは、鎌や鍬・鋤などの農具であり、鉄砲や刀剣などの武器ではなく、それに加えて、農作業と同じ蓑笠を着用するのが一般的でした。

ちなみに、豊臣秀吉による刀狩りでは、農民は完全に武装解除されたわけではなく、あくまでもターゲットにされたのは「刀」でした。

刀狩りは、農民から刀を取り上げることで武士と農民をしっかり区別、身分制度を確立することが目的だったのです。

よって農民も刀以外にも武器になりそうなものは所持していたものの、それを一揆の暴力行為の道具として用いることはなかったのです。

参考資料:藤野裕子『民衆暴力―一揆・暴動・虐殺の日本近代 (中公新書・2020/8/20)』
画像:photoAC

 

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