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「べらぼう」誰袖の叫びに重なる視聴者の怒りと涙。ついに意次・誰袖・蔦重の「敵討ち」が始まる【後編】

「べらぼう」誰袖の叫びに重なる視聴者の怒りと涙。ついに意次・誰袖・蔦重の「敵討ち」が始まる【後編】:3ページ目

誰袖が笑顔を取り戻す生き続けることが敵討ち

少女の頃から、物おじしない明るい押しの強い性格で、美貌と頭の回転の速さと博識で、妓楼主や遣手のしげ(山村紅葉)をすっかり味方にするほど、人あしらいに長けている誰袖に、このような激しい一面があったとは、と驚いている人も多かったようです。

けれども愛する意知の命を奪った人間に、刀を持って仇を取ることはできないゆえ、全身全霊をかけて呪い地獄に引き摺り落としてやる、そして自死できない自分自身は呪詛返しで後を追うという、懸命さ激しさは誰袖らしいと感じました。

そんな誰袖が、意知のことを胸に大切に胸に秘め笑顔を取り戻し生き抜いて幸せになることが、“大切な二人の将来を突然奪った憎き相手”に対する一番の敵討ちになるのではないでしょうか。

そして、蔦重(横浜流星)は「筆」の力で意知の敵討ちをすると心に決めます。

ドラマの最後、蔦重のもとに、北尾政演(古川雄大)が洒落本 「手拭合(たなぐいあわせ)」 の企画を持ち込みます。

“ひょいっとのれんの間から顔をのぞかせるひょうきんな男の絵”を見て、なにやらひらめく蔦重。「こいつなら、できるかも知んねぇ」「もう一度あいつを、笑わせられるかも知んねぇ」

蔦重は新たな黄表紙の出版をすることで、誰袖をもう一度笑顔にすることができると思ったのでしょう。

意知を失った失望感や悲しみを完全に癒すことはできずとも、呪詛で佐野一族を呪い、その呪詛返しで自分自身をも殺すようなことはやめて、生きていく力を取り戻してほしい。少女・かをりの頃から成長を見てきた蔦重の兄心だと思います。

史実では、意知の死、後ろ盾だった将軍徳川家治(眞島秀和)の死、貧しき人々による大暴動などで江戸は無政府状態となり、田沼政治は終止符を打つことになってしまいます。

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そして、松平定信(井上祐貴)一派が台頭し、それが蔦重の人生やビジネスにも大きな影響を及ぼしていくのですが。

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今しばらくは、それぞれの無念を晴らす敵討ちが成就するよう……と祈らざるおえません。

 

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