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「べらぼう」誰袖の叫びに重なる視聴者の怒りと涙。ついに意次・誰袖・蔦重の「敵討ち」が始まる【後編】

「べらぼう」誰袖の叫びに重なる視聴者の怒りと涙。ついに意次・誰袖・蔦重の「敵討ち」が始まる【後編】

愛する息子・田沼意知(宮沢氷魚)が殺されたことにより、意気消沈し憔悴していた田沼意次(渡辺謙)ですが、悪の権現のような一橋治済(生田斗真)に対する「敵討ち」を決意し、宣戦布告をしました。

「毒を塗った革手袋」で殺された徳川家基(奥智哉)、その件で自分が疑われたとき「目先の政敵を追い落とすために、真の外道を見逃すようなことはしない」と言ってくれた急死した松平武元(石坂浩二)、嵌められ獄中死した平賀源内(安田顕)、そして息子の意知。

さまざまな亡き人の志を胸に、「それがしには、やらなければならないことが山のようにございますゆえ」と治済に告げた意次。

意次はもう年なので長いことあるまい、息子の意知を殺すことで田沼の息の根を止めるほうが得策……と、佐野を操り、意知を斬らせた治済ですが実は大誤算でした。

「かように卑劣な手で奪い取れるものなど何一つない」徳川家治(眞島秀和)のいう通り。卑怯な方法は、逆に戦いの炎を燃え上がらせたのです。

「息子が生きて成就すべくことをなすべくして仇を取る」と決意した意次。そして、誰袖、蔦重、それぞれの敵討ちはどのようになっていくのでしょうか。

【前編】の記事はこちら↓

『べらぼう』幻の英雄・佐野政言が歪めた真実。ついに意次・誰袖・蔦重の「敵討ち」が始まる【前編】

「仇を…仇を討っておくんなんし!」振り絞るように声を出した、誰袖(福原遥)の願い。大河「べらぼう」第28話『佐野世直大明神』で、とうとう佐野政言(矢本悠馬)による田沼意知(宮沢氷魚)へ…

一度は後を追って自死しようとした誰袖

やっと想いが通じあった意知と、二人で桜の花見をする直前に、愛する人が斬り殺されるという、天国から地獄に突き落とされた誰袖(福原遥)。あまりにも幸せそうだっただけに、魂の抜けたような表情で、暴徒と化した街の人々の投石から意知の棺を守ろうとする姿は痛ましかったですね。

怒り、絶望、悲しみさまざまな感情で押しつぶされそうな誰袖の「仇を…仇を討っておくんなんし!」と振り絞るような声で吐き出した言葉は、そのまま視聴者の声でもあったでしょう。

あまりにもやりきれない思いを抱えた誰袖は、意知の後を追い、白装束を見に纏い喉をついて自害しようとするものの、果たせませんでした。

この場面に対しては「いざとなったら潔く死を選ぶ武家の娘ではないから、一気に喉をつくことができなかった」という見方もあるようです。

けれども、「潔く“死”を選ぶことが武士」という描き方をしないのが、森下脚本のいいところというか、リアリティを感じます。

第9回「玉菊燈籠 恋の地獄」で、空蝉(小野花梨)と浪人・新之助(井之脇海)が駆け落ちをするも、すぐに追っ手に捕まり空蝉は厳しい折檻をされ、新之助は切腹を試みました。

あの時、新之助は切腹をしようと腹に刃を当てたものの、「あ、痛!」とやめたのを覚えている人も多いでしょう。

そんな新さんにみな笑っていましたが、とてもリアルだと思いました。己の体に肌に刃を立てる恐ろしさ、心でどう思おうと体は本能的に“死”を忌避する……人間である以上、それが当然。

誰袖との桜を見る約束も、贈った歌のように“雲助袖の下で死にたし”を果たせなかったことも、将来を共に過ごせなかったことも、さぞかし無念だったと思うのに、なおかつ誰袖が自死して自分の後を追ったと知ったら「自分のせいで彼女の将来を奪ってしまった」と、意知ならあの世でも苦しんでしまうでしょう。

2ページ目 憑かれたように呪詛に打ち込む誰袖

 

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