「べらぼう」誰袖の叫びに重なる視聴者の怒りと涙。ついに意次・誰袖・蔦重の「敵討ち」が始まる【後編】:2ページ目
憑かれたように呪詛に打ち込む誰袖
誰袖は、佐野政言(とその親族)への敵討ちをするため、憑かれたように呪詛に打ち込みます。
けれども、誰袖は、佐野には会ったことはないはず。突然斬りつけられた意知でさえ、佐野に刃を向けられ「覚えがあろう」「覚えがあろう」と繰り返され、「覚え?」と返していましたね。
意知自体が「佐野に恨まれる覚え」に心当たりがないのに、佐野を知らない誰袖は、全身全霊で呪うのは難しかったと思います。
もちろん「佐野という人物」に、愛する意知の命を奪った憎しみや怒りはあったでしょう。けれども、憑かれたように呪詛をかけていたのは「佐野」だけではないように感じました。
意知の葬列のときに、最初は神妙な面持ちで首を垂れ手を合わせていたのに、突然の物乞いと正体不明の大工の男の「煽り言葉」でいきなりスイッチが入って豹変し、「外道」だの「鬼畜」だのと罵りながら石を投げた江戸市中の人々全てに対する怒りや恨みの気持ちが強かったのではないでしょうか。
そして、意知の後を追うため白装束で覚悟を決め、喉に刃を当てながらも自害できず止めてしまった自分自身を呪っているように感じました。
「人を呪えば穴二つ」。激しく呪詛をすることで、佐野家血筋のものすべてをこの世から消し去ることができたなら、意知の仇を討つという本懐を遂げる。そして、その強い呪詛が自分に跳ね返れば死ぬことができ意知のそばに行ける……そんな、思いがあったのではないかと推測しました。
余談ですが、あの呪詛のシーンは「光る君へ」でも呪術指導を行っていた高橋圭也氏が行ったものですが、「誰袖の呪文は(何万回唱えても)全く効果がでないように加工しているものを使用」とSNSで投稿して話題を呼びました。
ということは「本当に効果のある呪文はある」ということ……怖いですね。
あの呪文は、邪気を祓う祓詞を元にしたので唱えれば唱えるほどに良い事が起きても、悪い事は起きない」そうです。
