江戸初期の無法集団「旗本奴」vs「町奴」暴力で支配したアウトローたちの末路:2ページ目
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対消滅した「町奴」
さてその一方で、ろくでなし集団である旗本奴から庶民を守るために立ち上がる人もいました。「町奴(まちやっこ)」です。
彼らの多くは町人出身者でしたが、中には浪人も含まれていました。町奴の頭領・幡随院長兵衛と水野十郎左衛門の対決は、歌舞伎の題材にもなっています。
また、幕府も旗本奴の振るまいを見過ごすわけにいかず厳正に取り締まりました。寛文4年(1664)には水野十郎左衛門に切腹が命じられます。
一方、町奴も取り締まりの対象になり、貞享3年(1686)の大量処分で一掃されました。
旗本奴も町奴も、結局は暴力で物事を解決しようとするやくざに過ぎなかったということでしょう。彼らは結局、対消滅してしまったのです。
とはいえ、旗本奴や町奴のアウトローの気風はその後も受け継がれ、江戸時代後期には彼らにかわって博徒が存在感を示すようになります。
こうしたアウトロー賛美の風潮は、ご存じの通り現代のエンタメでもしっかり受け継がれていますね。ヒーローを求める庶民の感覚というのは、今も昔も大して変わりがないのです。
参考資料:縄田一男・菅野俊輔監修『鬼平と梅安が見た江戸の闇社会』2023年、宝島社新書
画像:photoAC,Wikipedia
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