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『べらぼう』胸が詰まる“桜”の演出…田沼意知と誰袖の幸せな桜、悲劇を招いた佐野の枯れ桜【前編】

『べらぼう』胸が詰まる“桜”の演出…田沼意知と誰袖の幸せな桜、悲劇を招いた佐野の枯れ桜【前編】

「よろしく頼む。蔦屋重三郎」

田沼意知(宮沢氷魚)と蔦屋重三郎(横浜流星)の心が通い合い、信頼という絆が芽生えた瞬間でした。

大河「べらぼう」の27回、『願わくば花の下にて春死なん』

※前回放送の振り返り記事:

『べらぼう』ついに佐野政言が刺殺の暴挙!あまりの急転落に視聴者のメンタル限界に…

米の価格が下がらない……幕府の打ちだした米穀売買御勝手次第(べいこくばいばいごかってしだい)も効果がなく、放屁賄賂御勝手次第(へっこきまいない~)などと揶揄されてしまいます。ますます窮地に陥る…

浅間山の噴火をきっかけに田沼政権への民衆の怒りが爆発、深刻な米不足など世の中の状況はどんどん悪化していく中、なんとか世の中を上向きにしようと考える二人の心は一つになります。

『願わくば花の下にて春死なん』とは、以前、誰袖(福原遥)と意知の想いが通じ合ったときに登場した、西行の辞世の句です。

“桜”を愛した歌人としてしられた西行。

今回の「べらぼう」の主役は、さまざまな姿の“桜”が主役でした。

“夢”に描いた桜、明るい陽光のもと輝いて見えた桜、「本来なら“うちの桜”だったのに」と無念の思いで見上げる桜、生気を失った枯木なのに人間を支配し続ける“家”の象徴である桜。

その「桜」をめぐり、描かれた二人の家の“父と息子の葛藤”。そこに、重なる男女の愛……あまりにも切なくも哀しい運命の展開を回想してみました。

誰袖の身請け話を反故にしないでと頭を下げる蔦重

「食うことに精一杯になれば、本は我慢、普請は諦めよう……そうやってどんどん金の巡りが悪くなる」

食えないということは何かもが悪い方向に向かう。その流れを断ち切るのが政だ」という考えから、米問題について“日本橋の旦那衆と考えた提案”を、田沼家に出向き意知に伝える蔦重。

さらに、田沼家の評判悪化により誰袖の身請け話が流れそうなことを心配する蔦重は「どうか誰袖花魁を身請けしてやってはいただけませんか? 」と意知に頭を下げるのでした。

吉原の内情を嫌というほど目にしてきた蔦重。花魁は、身請けが無くなればずっと体を売り続けなければならない仕事です。一緒になろうと決意した瀬川花魁(小芝風花)が、客をとっている真っ最中の姿を見させられた過去は忘れられないでしょう。

誰袖は、少女時代から知っている吉原の仲間です。身請け話が流れてしまうのはあまりにも不憫と胸を痛めたと思います。

瀬川に約束した “吉原の女郎の夢”を忘れてない蔦重

以前、蔦重が「吉原の女郎たち皆にいい身請け話がきて、この大門を出ていける日が来る。そういうところにしたい」と、“夢”を語っていたのを思い出す場面でした。

最近は、長羽織など上等な着物を着こなし、妻のてい(橋本愛)と結ばれて、日本橋の旦那衆にも認められ……と、すっかり貫禄が出てきて「日本橋の旦那」ぶりが板についてきた蔦重。

若い頃の元気な江戸っ子ぶり思い出すと、ちょっと寂しい感じもしていましたが、やはり気持ちは“吉原者”でした。「吉原の女郎を幸せにする」という、べらぼうな“夢”は忘れていませんでしたね。

こうやって瀬川の存在を感じさせてくれたり、蔦重が瀬川と語った“夢”や“約束”を忘れてしまったわけではないと思わせるセリフを入れたりという脚本は、瀬川ファンとしてはうれしいところです。

2ページ目 花魁との約束を果たす覚悟だった意知

 

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