「子の刻」「暮六ツ」って何時?江戸時代の時間は季節で伸び縮み「不定時法」のしくみとは?:2ページ目
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なぜ不定時法が便利だったのか
江戸時代には、現代のような正確な時計はほとんどありませんでした。
時計を持っているのはお金持ちや武士のごく一部で、庶民は太陽や星の位置を見て時間を判断していました。
不定時法は、日の出や日の入りを基準にするので、時計がなくても空を見ればおおよその時間が分かったのです。
例えば、朝、太陽が昇り始めたら「明六ツ」、お昼頃に太陽が空の真ん中に来たら「九ツ」と、誰でも簡単に時間を把握できました。
農民や商人は、畑仕事や市場の準備を太陽の動きに合わせて計画し、町人は夕方の「暮六ツ」を目安に店を閉めたり、夜の「四ツ」で寝る準備をしたりしました。
さらに、江戸の町では時の鐘と呼ばれる大きな鐘が、時間を知らせる重要な役割を果たしていました。
例えば、日本橋や浅草の寺に設置されたこの鐘は、定時法の「刻」を元に決まった時間に鳴らされていました。
朝の「子の刻」(深夜0時頃)や昼の「午の刻」(正午)に鐘が鳴ると、町の人々は「そろそろ昼ごはんの時間だな」とか「仕事の準備をしよう」と生活のリズムを整えました。
不定時法の時間は季節ごとに変わるので、寺の僧侶や町役人が季節に応じて鐘を鳴らすタイミングを調整していました。
参考資料:縄田一男・菅野俊輔監修『鬼平と梅安が見た江戸の闇社会』2023年、宝島社新書
画:photoAC,Wikipedia
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