『べらぼう』歌麿が画名を「千代女」にした本当の理由…蔦重を巡る“三人の女”に隠された真意【後編】:4ページ目
史実では美人画の大家となるものの
史実では、版元としての基盤を築き上げた頃、蔦重は鳥山石燕(片岡鶴太郎)門下であった絵師の歌麿と出会います。その後十数年、蔦屋の専属絵師として歌麿は活躍していたそう。
蔦重は、ドラマのように江戸の文芸界を牽引する狂歌師・戯作者たちと交流し、歌麿の才能を積極的に売り込みしたそうです。贅沢な多色摺の狂歌絵本を企画し、作画に歌麿を起用したことで作品は大ヒット。
さらに、美人大首絵という上半身や頭の部分をアップにした手法の人物画を描かせてこれまた大ヒット。美人重の画家として世間の評判となります。
けれども、歌麿は蔦屋以外の版元からも美人画を出すようになり、徐々に濫作となり作品の質は落ちていってしまったとか。プロデュース力に秀でる蔦重と比べ、他の版元は歌麿の才を生かすことができなかった……という説があります。
ドラマでは、歌麿は絵師として成功して自信を持ち、蔦重から親離れして、自分はこの江戸で「唯一無二の存在なのだ」と自信を持って生きていく。そんな姿をみたいと思っています。
「べらぼう」歌麿ブレイクから入牢〜転落〜衰弱までの真相。史実では違った歌麿と蔦重の出会い
NHK大河ドラマ「べらぼう」見ていますか?いよいよ日本橋に居を構え、伴侶も得た蔦重。さて、居場所がないとやさぐれていた歌麿は、いつ大ブレイクするのでしょう?[caption id="attac…

