『べらぼう』歌麿が画名を「千代女」にした本当の理由…蔦重を巡る“三人の女”に隠された真意【後編】
今回、26回放送の「べらぼう」のサブタイトルは『三人の女』。
母親つよ(高岡早紀)、妻てい(橋本愛)、そして三人目は「生まれ変われるなら 女がいいからさ」と呟いた歌麿(染谷将太)だった……という、秀逸な脚本でした。
歌麿にとって蔦重は、死んだように生きていた自分に新しい人生をくれた大切な存在。
後編では、“三人の目の女”として描かれた、歌麿の心情を振り返りつつ、その想いを考察してみました。
↓【前編】の記事はこちら
『べらぼう』ていの家出に瀬川の名シーンが重なる…蔦重を巡る“三人の女”に隠された真意【前編】
「命」を救われた歌麿にとって蔦重は“生みの親”
家出がきっかけとなり、ていと蔦重はやっと心と心が通じ合います。そして、夫婦として結ばれた夜。隣の部屋で「よかったな蔦重」と言いつつ、涙して布団をかぶった歌麿。この涙には“切なさ”を感じた人は多かったようです。
歌麿は、ドラマの中で2回、蔦重に“命”を救われています。1回目は、少年時代「明和の大火」で燃え盛る家の前で呆然と立ちすくんでいたところを、手を引っ張られて救われたこと。
夜鷹の母親に虐待され男相手に売春を強要されていた歌麿は、火事で潰れた家の下敷きになった母親を、助けることができず固まっていました(助けたくなかったという気持ちが強く体が動かなかったという感じ)。
そんな状態から助け、「唐丸」(渡邉斗翔)という名前をくれ、家に住まわせ仕事の手伝いをさせてくれた蔦重。
母親との生き地獄から逃れられて、ようやく生きた心地がしたのでしょう。蔦重に絵の才能を認められ「江戸で一番の絵師にする」と言われたときは、初めて生まれてきた喜びを感じたと思います。
2回目は、大人になってから。自分の過去を知る母親の愛人に強請られ、蔦重に迷惑はかけらぬとばかりその愛人ごと川に飛び込み姿を消した唐丸。
命は助かったものの、大人になっても男女構わず体を売り、金のために偽絵を描くというすさんだ毎日を送っていましたが、再会した蔦重に「お前を当代一の絵師にする。だから死ぬな。俺のために生きてくれ 」と真剣に言われます。
母親と愛人を死に追いやった罪を背負い生きてきた歌麿にとって、「死んだ人間には悪いがお前が生きていてよかった」と自分を全肯定してくれる蔦重は、まさに「新しく生き直す」道をくれた特別な存在。
“すでに死んでいた自分を生き返らせてくれた人”だから、歌麿にとって蔦重は “生みの親”。『無償の愛を捧げる対象』だったのです。
小さい子が一心に親を見詰め「自分をいつも見て愛してほしい」「自分が一番の存在でいて欲しい」と願うのと同じ。
いつも蔦重を見詰め言動や行動を理解し、助言しサポートする、そんな「一番自分が側にいる」存在でいたい「自分のことを一番の存在だと思って欲しい」と感じていたのではないでしょうか。
以前、毒母親が酒を飲んで酔うと機嫌が良く、唐丸を抱きしめる場面がありました。うっとうしそうにしながらも、ちょっと嬉しそうな顔をした唐丸。鬼畜の親でも「本当は愛されているのでは」と感じる瞬間は嬉しかったのでしょう。
虐待されているのに、心の奥で持っている親に対する子どもの無償の愛を感じ辛いものでした。
そんな唐丸にとって、以前の吉原の『耕書堂』は大切な場所だったのです。蔦重の日本橋進出とていとのビジネス婚は、不安しかなかったでしょう。


