源頼朝の“デカ頭伝説”は本当なのか?史料や川柳、戯作から史実を掘り下げる
今は昔し、回向院で御開帳がありました。
和尚「こちらは当山の霊宝、頼朝公の舎利頭(しゃりこうべ。頭蓋骨)」
お客「あれ、頼朝さんてのは随分頭の大きい人だって聞いたけど、これは随分小さくないかい?」
和尚「こちらは御幼少のころの舎利頭」
……そんなばかな、というのが笑いどころ。筆者は三遊亭円楽(さんゆうてい えんらく。五代目)師匠が噺すこのネタが好きでした。
源頼朝と言えば、頭が大きかったことで知られていますが、本当に頭が大きかったのでしょうか。
今回はこの頼朝公の大頭ネタについて紹介したいと思います。
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川柳に詠まれた頼朝公の大頭
お頭(つむり)を やっと入れると 鳩が飛び
政子御前 の迷惑な 膝枕
拝領の 頭巾梶原 縫い縮め
これらの川柳は、いずれも頼朝公の頭が大きすぎることをネタにしたものです。
まずは一句目。石橋山の合戦に敗れた頼朝公が身を隠そうと洞穴(または木のウロ)へもぐり込みますが、頭がつっかえてなかなか入れません。
何とか頭を押し込むと、中にいた鳩が飛び出したというのです。この鳩を見た追手の大庭景親(おおばの かげちか)は、中が無人と判断したのでした。
続いて二句目は、頼朝公の正室である北条政子が、頼朝公の大きくて重い頭を膝枕すると足がしびれて大迷惑な様子を詠んでいます。
五七五に当てはめると「まさこごぜ んのめいわくな ひざまくら」と句またぎになっているのが特徴的です(トータルで17文字だからセーフ)。
そして三句目は、側近の一人であった梶原景時(かじわらの かげとき)が、頼朝公から頭巾を拝領した様子を詠んでいます。
そのままかぶるとサイズが合わないため、景時は頭巾を縫い縮めて自分の頭に合わせたのでした。
……って、頭巾はたいていフリーサイズだと思いますが、それでも縮め切れないほど大きかったのでしょうね。


