源頼朝の“デカ頭伝説”は本当なのか?史料や川柳、戯作から史実を掘り下げる:2ページ目
御家人たちが大騒ぎ!戯作『鎌倉頓多意気』とは
江戸時代後期の寛政6年(1794年)、戯作者の桜川慈悲成(さくらがわ じひなり)は頼朝公の大頭をネタにした『鎌倉頓多意気(かまくらとんだいき。鎌倉三代記のもじり)』を出版しました。
板元は西村屋与八(にしむらや よはち)、画工は歌川豊国(うたがわ とよくに)。ユーモラスに描かれたトンデモ鎌倉のストーリーを見てみましょう。
……領民たちが頼朝公の大頭をはやし立てるので、頼朝公は畠山重忠に「御家人たちの頭を大きくしろ」と命じました。
そこで御家人たちは、ハリボテの大頭を用意します。出来合いの安物で済ませたり、特注したら大きすぎて二人でかぶったりなど、てんやわんやの大騒ぎです。
果たしてみんな大頭となった御家人たちを見て、頼朝公は癪にさわったのか、畠山に「自分の頭を一番大きくつくれ」と命じました。
あまりに大きく作ったせいで、なかなか乾かない内に雨が降ってしまいます。せっかくのハリボテを濡らしてはなるまいと雨合羽で包んだところ、品川にあった海晏寺(かいあんじ)の合羽大仏みたいになったそうです。
鎌倉じゅうの老若男女が頼朝公のデカ頭を拝もうと押しかけて大繁盛……と思ったら、夢から醒めてしまいました。
めでたしめでたし……。
海晏寺の合羽大仏とは、寛政5年(1793年)に作られたハリボテの大仏で、江戸湾からもその姿が見えるほど大きかったと言います。
評判のあまり参詣客が押し寄せ、大混雑したため奉行所より撤去を命じられてしまいました。
幻のような大仏と頼朝公の大頭を夢オチにまとめた本作は、江戸っ子たちの評判となったようです。
