兵器が硬貨に。実はさまざまな課題が山積していた戦後日本の貨幣製造の変遷をたどる!
終戦直後の硬貨
終戦後に日本国内で製造された硬貨の変遷について見ていきましょう。
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貨幣の発行は国家権力の行使の一つですから、政治の影響が直接反映されます。まずは国名の表記が「大日本」から「日本政府」、さらには「日本国」に変わりました。
また国威を高めることを意図したデザインがなくなり、平和や産業の復興を表すデザインになったのです。
1945(昭和20)年、それまでの錫製の5銭硬貨は、表面がそれまでの菊紋・桐紋・瑞雲から、平和の象徴である鳩がはばたいている絵柄に変わります(ただし、菊紋と桐紋は表裏に残りました)。
また同年には、10銭硬貨が錫製からアルミニウム製にかわり、絵柄も稲穂と桜に変わります。稲穂が選ばれたのは、農業復興による食糧増産という願いが込められているからでしょう。
新しい硬貨の原材料には、錫とアルミニウムが用いられましたが、造幣局に備蓄されている錫とアルミニウムがいずれ底をつくことが予想されました。
そして激しいインフレーションにより、少額の「銭」を単位とする硬貨が必要なくなってしまいそうになり、錫やアルミニウムにかわる硬貨の原材料が問題となります。
兵器から平和へ
アルミニウムも錫もだめとなると、考えられるのは鉄でしょうか。
しかし、江戸時代の鉄銭でも明らかなように、鉄は錆びやすく、見た目や保存の点から硬貨の材料には適していません。
そこで、次に考えられたのが、薬莢や弾帯という形で軍にたくさん残っていた黄銅(真鍮)でした。
こうして1946(昭和21)年から黄銅製50銭硬貨の製造が始まります。
表面には縁起のよい鳳凰、裏面には稲束・歯車・鍬・鶴嘴・魚があしらわれていました。つまり農業・水産業・工業・建築業が一体となって発展するという願いが表されているのです。
かつての兵器が溶かされ、平和をめざす新日本の復興を象徴している貨幣へと変わっていったわけですね。よく考えてみるとなかなか象徴的です。



