
【あんぱん】惜しみない愛情がアンパンマンを育んだ!?やなせたかしの伯父・柳瀬寛の生涯
朝ドラ『あんぱん』には、多くの魅力的な人物が登場します。
主人公であるのぶとたかしが、周囲の人物との出会うことで、のちに国民的作品となる『アンパンマン』へと繋がっていきます。
ここで取り上げるのは、たかしの伯父・柳瀬寛(ドラマ中では柳井)です。
作中では昭和初期の高知・後免町には白壁の「柳瀬医院」が建っていますね。その院長先生が寛です。
実在した寛は、医師として町の子どもたちの健康を守りつつ、夜はサロンの主人として琵琶やスコット・ジョプリンのレコードを流す文化人でもありました。
彼は弟・柳瀬清の忘れ形見である崇(のちの やなせたかし)と千尋を引き取り、第二の父として未来を指し示した人でもあります。その生涯はわずか50年という短いものでした。しかし彼がたかしに伝えた愛情や優しさは、やなせたかしのペン先から〈アンパンマン〉へと受け継がれています。
医師としての歩みと文化人の顔
明治22(1889)年ごろ、柳瀬寛は、高知県香美郡在所村朴ノ木(現・香美市香北町朴ノ木)にあった柳瀬本家で生を受けたと考えられます。
学業においても優秀だったようで、寛は京都医学専門学校(現・京都府立医科大学)を卒業。高知県長岡郡後免町(現・南国市)で「柳瀬医院」を開業しました。
大正末から昭和初期にかけての後免町は製糸業と鉄道駅のにぎわいで成長し、彼の医院は地域医療の要となります。白衣姿の寛は常に穏やかな土佐弁で患者を励まし、「まず笑顔が薬です」と説いたと言われています。
寛は俳句を愛し、故郷の小字「朴ノ木」にちなむ俳号「朴城(ほうじょう)」を名乗りました。日が暮れると医院の待合室は文化人が集う私設サロンに早変わりし、琵琶の弦が鳴り響く空間になったいいます。
また、寛はサイドカー付きオートバイにも乗用するなど、活発な面も持ち合わせていました。
医業と趣味の二刀流は、後年やなせたかしが追求した「生活と芸術の地続き」という信条の原型になったとも考えられます。