朝ドラ「あんぱん」柳井寛先生(竹野内豊)のモデル・柳瀬寛の生涯 〜 惜しみない愛情がアンパンマンを育んだ!:2ページ目
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やなせたかしの「第二の父」としての愛情
順風満帆に見えた寛の人生ですが、悲しい別れもありました。
昭和5(1930)年、実弟・清が病没。寛と妻キミは2歳の柳瀬千尋を正式に養子とし、のちに崇(やなせたかし)も迎え入れました。戸籍上は「伯父と甥」ですが、寛は2人を分け隔てず育て、海辺の遠足や俳句会に連れ出しては「好きな道を歩け」と背中を押しました。
崇が旧制中学で数学に苦戦し医者の道を尻込みすると、寛は「図案なら飯が食える」と東京高等工芸学校図案科(現・千葉大デザイン学科)を示したといいます。この励ましがやなせたかしのデザイン思考を開花させ、戦後の漫画・絵本制作へとつながります。
朝ドラ『あんぱん』に登場する柳井寛が「生きる道しるべを示す町医者」と説明されているのは、この史実を踏まえた脚色だと考えられます。
早すぎた別れとその遺産
しかし寛に残された時間はわずかなものでした。
1939(昭和14)年3月、寛は突然倒れ、そのまま帰らぬ人となりました。享年50歳という若さでした。死因は心臓麻痺あるいは脳溢血と伝えられています。
このとき、崇は東京で卒業制作の真っ最中に「チチキトク」の電報を受け取ったと伝わります。高知に駆けつけたものの棺の前で「お父さん、ごめんなさい」と号泣したと自伝『人生なんて夢だけど』に記しています。
寛の死後、柳瀬家は戦火と貧困で揺れますが、崇は伯父の言葉を胸に上京し、戦後『アンパンマン』の原型となるキャラクターを描き始めます。
こうした史実は、2025年度前期連続テレビ小説〈あんぱん〉で竹野内豊さんが演じる柳井寛に重ねて描かれ、視聴者に“励ましの系譜”を伝えています。
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