忠臣蔵・大石内蔵助は”後世の評判”を気にしていた!新史料で明らかになる赤穂浪士「忠義」の真実【後編】:2ページ目
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相次ぐ新史料の発見
近年、赤穂浪士関連の新史料の発見が相次いでいます。2019年度には兵庫県赤穂市の市立歴史博物館で関連史料を集めた特別展が開かれています。
特に重要なのは、内蔵助が妻・りくの父宛てに送った直筆書状で、りくの懐妊報告や息子・主税への元服祝いに対するお礼がしたためてあります。
これは元禄15年(1702年)1月27日付で、赤穂城を明け渡した後、京都山科に移り住んでいた時に書かれたものでした。事件のさなかの内蔵助の心情が分かります。
また、義士や家族を藩医が診察した際の診察処方録(カルテ)も興味深い史料です。
内蔵助らが切腹まで身柄を預けられた熊本藩細川家の世話役・堀内伝右衛門の手記も見つかっています。これまで写本が流通していましたが、この手記は伝右衛門の直筆とみられるもので、「内蔵助は寒がりで、こたつ布団を引きかぶって寝る」などと記されています。
内蔵助ら浪士の死の直前の本音や様子がつづられており、これも研究者間でも注目されています。
こうした当時の状況がつぶさに分かるようになれば、赤穂事件に対する評価もまた変わってくるかも知れませんね。
参考資料:
中央公論新社『歴史と人物20-再発見!日本史最新研究が明かす「意外な真実」』宝島社(2024/10/7)
画像:photoAC,Wikipedia
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