忠臣蔵・赤穂浪士の討ち入りは本当に「正義」なのか?主君の敵討ちに潜む ”法と忠義の矛盾”【前編】:2ページ目
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実は珍しい「主君」の敵討ち
また、敵討ちの典型と言われる赤穂事件ですが、実際には、当時の敵討ちの概念から大きく外れた出来事でした。
江戸時代に行われた敵討ちは、基本的には親・兄弟を殺害された場合の復讐を指すものであり、主君の「敵討ち」は意外にも歴史上ほとんど例がないのです。
また、内匠頭が上野介に危害を加えた加害者なのに、その家臣が被害者である上野介を討ち取ったことは、主君への正しい忠義と言えるのか。これについては江戸時代の儒者らの間でも意見が分かれていました。
そうした前例のない事態だからこそ、幕府も浪士の処分に頭を悩ませています。主君に対する忠義は奨励される一方で、徒党を組んで吉良邸へ押し込んだ行為は武家諸法度に違反します。
そんなこともあり、5代将軍・綱吉は浪士の心情に同情すべき点はあるとしつつも、切腹の処分を下しました。
この処分については、家の論理である「義」を天下の「法」が上回り、各藩や武士個人の自律的な行動が幕府に厳しく否定された「時代の転換点」を象徴する事件だったとも言えるでしょう。綱吉の頃には、近代的な法治主義の時代へと突入していたのです。
次回の【後編】では、赤穂事件における幕府の思慮と、赤穂浪士たちの本音について解説します。
【後編】の記事はこちら↓
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参考資料:
中央公論新社『歴史と人物20-再発見!日本史最新研究が明かす「意外な真実」』宝島社(2024/10/7)
画像:photoAC,Wikipedia
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