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メディアが作った”偽の悪役”!徳川綱吉の側近・柳沢吉保が悪役にされた理由と「忠臣」としての活躍【前編】

メディアが作った”偽の悪役”!徳川綱吉の側近・柳沢吉保が悪役にされた理由と「忠臣」としての活躍【前編】:2ページ目

悪役像の登場

それは綱吉が亡くなってすぐの1709年のことで、事実に脚色を交えた「実録物」に描かれたのが最初でした。

そこでは、「嫡男を綱吉のご落胤と称した」「女性によって将軍の心を乱し思うように出世した」など、ゴシップめいたお家騒動の話がまことしやかに語られました。

またそういうものを庶民も求めていたのでしょう。吉保に関するゴシップ本は貸本屋の主力商品となり、講談や歌舞伎の題材にもなっています。

すでに江戸期にも、学者の間では「これは事実ではない」との批判がありましたが、完全に打ち消されるまでには至らなかったようです。

そうした傾向は近代に入っても変わりませんでした。かの徳富蘇峰も、大正期に著した『近世日本国民史』の中で、綱吉に対する吉保のイエスマンぶりを「迎合学の大博士」として断じています。

蘇峰ですらも過去の文献を無批判に紹介するほど、吉保の悪役像は「定説」だったのです。

3ページ目 将軍を諫めることも

 

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