
メディアが作った”偽の悪役”!徳川綱吉の側近・柳沢吉保が悪役にされた理由と「忠臣」としての活躍【前編】
「成り上がり」への嫉妬
江戸幕府の側用人といえば、将軍の側近として権力を振るう〝悪役”のイメージが強いですね。
その代表的な人物として、5代将軍徳川綱吉に仕えた柳沢吉保(やなぎさわよしやす[1658~1714年])を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。今回は彼の本当の人物像を前編・後編に分けて解説します。
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吉保はドラマ『水戸黄門』や『大奥』などの時代劇で悪役としてのキャラクターが定着しています。
しかし近年の研究では、実際の吉保は綱吉の行いを諫めもする忠臣で、慎み深く、自らが治める甲斐国の領民に対しても慈悲深く接していたことが分かってきています。
悪役に描かれた要因としては、吉保が館林藩主時代の綱吉の小姓組から、幕府政治に影響力を及ぼす立場にまで上り詰めた「成り上がり者」と見なされたことが大きいようです。その経歴が嫉妬されたんですね。
基本的に吉保は綱吉という将軍の側にいたため、諸大名は頭を下げざるを得ません。武家社会の階層秩序を乱す新興大名に権力を握られているというジレンマが、文芸作品の中で悪役像につながった可能性が高いと言えるでしょう。
では、そんな「作られた吉保像」が登場したのはいつからだったのでしょうか?