鳴くまで待とう…などの徳川家康イメージは嘘だらけ!リアリスト・家康の真実の処世術と実像:3ページ目
作り替えられていた駿府城の天守
秀吉との関係を巡っては、家康の本拠地である駿府城で、近年、重要な発掘成果が相次いでいます。
同城で発掘された天正期の天守台石垣は、メインの天守台に加えて小天守台も兼ね備えた最古の例とみられていますが、これは大御所時代の慶長期に破壊され、新たな天守台が築かれていたことがわかったのです。
豊臣期の城をベースにせず、一から城を築いたことには、晩年の家康の思惑が反映されていた可能性があります。
こうした事柄から浮かび上がってくる、新しい徳川家康像とはどんなものでしょうか。それは、行ないえる手立てを尽くし努力するものの、最後は破滅を避け、無理押しをせず妥協するという考え方です。
そして次の段階ではその地位を受け入れ、それに応える行動をみせ、機を待って次の行動に出る――。実は家康の処世はこうしたものであり、それは従来のイメージである「狸親爺」でも「神」でもない非常にリアリスティックなものでした。
天下人の真骨頂は、現実主義的に乱世を生き抜く巧みな知恵にあったのでしょう。
参考資料:中央公論新社『歴史と人物20-再発見!日本史最新研究が明かす「意外な真実」』宝島社(2024/10/7)
画像:photoAC,Wikipedia
