剣術の強さを疑う声!?新選組・近藤勇の剣豪伝説はどこまで本当なのか?:2ページ目
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他の道場に助けを求めた?
近藤勇の剣術の腕前について、彼は真剣勝負では確かに強かったが、竹刀を使った道場での試合は苦手だったのではないかという説があります。
新選組が設立される前、前述したように近藤は試衛館という道場の跡を継いでいました。
しかし道場といっても、入門してくるのは町内の若者や子どもがほとんどで、言ってみれば相手は素人のようなものです。
ところが時々、いわゆる道場破りが門を叩くことがありました。
そんな時、近藤は相手と面会し、どのくらい腕が立つか品定めをしたといいます。
そこで自分の手に負えないと判断すると、「しばしお待ちください」といって席を立ち、九段まで使者を送りました。
九段には、斎藤弥九郎が開いた江戸三大道場のひとつである練兵館があり、近藤はそこの塾頭・渡辺昇に助けを求め、道場破りの技量に合った門弟を派遣してもらったといいます。
そして道場破りが倒されると、近藤は練兵館の門弟たちにふるまい酒をしたというのです。
こうして見ていくと、近藤勇は竹刀を使った試合は苦手だったという説が出てくるのも頷けますね。彼が剣豪としての実力を遺憾なく発揮するようになったのは、新選組のトップになったからこそ、だったのかも知れません。
剣豪としての近藤のイメージは、実戦での強さと人脈の巧みさに支えられていたのでしょう。
参考資料:日本歴史楽会『あなたの歴史知識はもう古い! 変わる日本史』宝島社 (2014/8/20)
画像:photoAC,Wikipedia
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