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大河『べらぼう』鳥山検校と五代目瀬川(小芝風花)の悲惨なその後…咲くも散りゆく4本の徒花【前編】

大河『べらぼう』鳥山検校と五代目瀬川(小芝風花)の悲惨なその後…咲くも散りゆく4本の徒花【前編】:4ページ目

気遣いに心が通う検校と瀬川の間に咲いた徒花

2本目は、瀬川と客の鳥山検校の間に咲いた徒花です。

瀬川が疲弊し心が折れかけていた時に出会ったのが、盲人で金持ちの鳥山検校(とりやまけんぎょう/市原隼人)でした。

「検校」は名前ではなく役職名です。室町幕府から始まった盲人の組織「当道座」の最高位で、金貸しの資格も持っていました。

江戸幕府が盲人の保護や権利の保証に熱心だったのは、2代将軍徳川秀忠の生母・西郷の局(於愛の方/大河「どうする家康」で広瀬アリスが演じた)は、目が悪く同じ立場の人々を熱心に保護したということが影響していたそうです。

高利貸しを営み巨万の富を築いた鳥山検校は、高価そうな渋い色調の着物と羽織を分厚く重ね、金色の袴を着こなしていていかにも金持ちといった風格ある着こなし。彼は、花魁たちに本や双六などの土産を持参するような気遣いのある人物でした。

心身ともに疲弊し孤独を感じていた瀬川は遊女を見下さない鳥山検校に、安らぎを感じたのでしょう。自分の容姿で判断せずに人間性に好意を抱いてくれたのも嬉しかったのだと思います。出会ったばかりの二人の間には、ほんわかとした互いを思いやる新しい花が育ち始めたのでした。

堅実で穏やかな花が育つと思いきや3年で終わった徒花

その後、安永4年(1775)、鳥山検校は1,400両(約1億8000万円)という破格の金額を支払い、瀬川を身請け。互いの人間性に惹かれた二人の間には、安定した生活にしっかりと根付いた花が育っていく……と思いきや、身請けからわずか3年後に関係は破綻します。

幕府は悪質な高利貸しの一斉摘発に乗り出し、鳥山検校も全財産を没収され江戸から追放されてしまったのです。その後瀬川はどうなっていたのか記録がありません。

二人の間に咲いた徒花は、「君を忘れない」「追憶」「遠方にある人を思う」の花言葉を持つ紫苑のようなイメージがあります。

声のトーンで人の気持ちを察するほど鋭い検校は、身請けして自分のそばに置いたつもりの瀬川が「いつも心に中に蔦重の面影を抱いている」と、遠い人のように感じていたのではないでしょうか。江戸を追われてもずっと「君を忘れない」と想っていたと思います。

残りの二輪は【後編】でご紹介しましょう。

【後編】の記事はこちら↓

大河『べらぼう』鳥山検校と五代目瀬川(小芝風花)の悲惨なその後…咲くも散りゆく4本の徒花【後編】

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