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江戸時代、私娼窟を取り締まる「警動」で検挙された遊女たちの末路…。大河『べらぼう』でも話題に

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警動で検挙された遊女たちはどうなったのか?

警動で検挙されてしまった私娼は、吉原に送られました。そして、高い場合は5両、10両、低い場合は何十文という値段で、各廓内妓楼主人の入札によって競売に付せられました。

そして、無給で3年間働かされたといいます。ただし、3年間は最長の場合でした。検挙され、連れてこられた女性たちは、「奴女郎(やっこじょろう)」と呼ばれ軽蔑されてしまったといいます。

ただし、なかには捉えられた女性のなかから、大出生していく人もいました。有名なのが「勝山(かつやま)」という女性。

もぐりの私娼から江戸・吉原遊郭のトップ「太夫」にまで上り詰めた伝説の遊女「勝山」

江戸時代、「太夫」「花魁」などと呼ばれた吉原のトップ遊女たちは、幼い頃に貧しい家から売られて「禿(かむろ)」という見習いとなり、振袖新造を経てステップアップするというのが一般的でした。[insert…

彼女はもともと私娼窟をかねた風呂屋の従業員(湯女)でしたが、検挙され、吉原送りになりました。しかし彼女は、吉原で最高位の太夫にまで上り詰めた実力者。その人気のほどは、井原西鶴が『西鶴織留』で彼女を一代の名妓と紹介していることからもわかります。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

 

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