江戸時代、両替商が「為替(かわせ)」の仕組みを劇的に発展させた!幕府の難題を解決した三井越後屋:2ページ目
2ページ目: 1 2
難題を解決してさらなる発展
そこで三井越後屋は、大坂にある幕府の御用金蔵から銀貨を受け取って仕入れ金に回し、江戸の店舗の利益から御用金を金貨で幕府に納めることにしました。
こうすれば本物の現金を動かす手間は最低限で済みます。よって人手と時間をかけずに、しかも安全に、幕府と三井越後屋の両方に現金を納めることができるわけです。
ちなみに幕府や諸大名は蔵物を大坂で換金し、大坂の両替商から江戸の両替商にあてて振り出した為替手形にかえて江戸の両替商から支払いを受け、幕府財政や江戸屋敷の費用を賄うという方法を採用していました。
こうした方法が実現できるわけですから、三井越後屋のような両替商の存在は頼もしかったことでしょう。
そんなこともあってか、幕府は為替手数料も両替手数料も払わない代わりに、大坂から江戸に送金する期限の二か月間(のちに三か月間)は、幕府に納めるべき御用金を運用して利益を得ることを認めるという特典までつけました。
こうして三井越後屋は、幕府の信用を得ることによって、ますます両替商として発展したのでした。
これとあわせて、特に大坂・京都・江戸などの両替商が中心となって、為替という仕組みそのものが劇的に発達していったのです。
参考資料:執筆・監修阿部泉『明日話したくなるお金の歴史』清水書院、2020年
画像:photoAC、Wikipedia
ページ: 1 2
