江戸時代の経済を支えた両替商と「銀座」の意外な関係に迫る!:2ページ目
「江戸の金遣い、上方の銀遣い」の理由
さて江戸時代には、貨幣を使用した全国的な商品流通が活発に行われるようになっていましたが、「江戸の金遣い、上方の銀遣い」と称して、江戸ではおもに金貨が、上方(京都や大坂)ではおもに銀貨が使われていました。
上方で銀貨が使われていたのは、石見銀山(島根県)や但馬銀山(兵庫県)など、おもな銀山が西日本にあったからです。
また、佐渡金山(新潟県)や甲斐金山(山梨県)など、おもな金山は上方より江戸に近い地域にありました。
ですから、江戸と上方で取り引きを行う場合は、相手に合わせて両替しておいたほうが、円滑に商売ができたのです。
そこで、いわゆる両替商の存在が大きくなっていきます。
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