
玉川島田、元禄勝山…吉原遊女たちの髪型(日本髪)をビジュアル解説!大河「べらぼう」が百倍楽しめる!
江戸時代の遊女と聞けば、多くの方が華やかな髪型や衣装を思い浮かべることでしょう。
いつの時代も女性たちはお洒落に余念がなく、遊女たちもまたそれぞれに創意工夫を重ねていました。
今回は江戸時代を中心に、遊女たちの髪型を紹介。大河ドラマや時代劇が、もっと楽しめるかも知れません。
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唐輪髷(からわまげ)
戦国時代後期~江戸時代初期ごろ
中国女性の髷を模したことが名前の由来です。髪を輪にして束ね上げる髪型が、歌舞伎役者や遊女の間で流行しました。
平安時代以降、女性のヘアスタイルは下げ髪が主流だった中で、髪を高く結い上げるという革新的なスタイルが人気を呼んだのでしょう。
近世から近現代に至る日本髪の原型となりました。
立兵庫(たてひょうご)
江戸時代前期~中期ごろ
唐輪髷が簡略化された髪型で、摂津国兵庫(兵庫県南東部)の遊女が始めたため、立兵庫と呼ばれます。
頭頂部に大きな髪の輪を立ち上げたスタイルは、一般女性の間でも大流行しました。
やがて元禄年間(1688~1704年)に入ると時代遅れになってしまい、主におばさんヘアとなっていったようです。
玉川島田(たまがわしまだ)
江戸時代前期~現代
現代でも花嫁さんの髪型として結われている島田髷の基本形で、東海道の島田宿(静岡県島田市)の遊女が結い始めました。
※玉川の由来は調査中。遊女の名前だったのでしょうか。
元は若衆髷(わかしゅまげ。少年の髪型)をアレンジしたものと言われますが、当初は年配女性に好まれたそうです。
元禄勝山(げんろくかつやま)
江戸時代前期~中期ごろ
吉原遊郭の遊女・勝山が結い始めたことで大流行した髪型です。
サイドの鬢(びん)を張り出さず、襟足の髱(たぼ。つと)を鳥の尾羽よろしく突き出していることから、鶺鴒髱(せきれいつと)と呼ばれました。
後頭部に丸く大きく結い上げた髷は、後に丸髷の原型となったそうです。