公卿のボイコット、道長に祟り、怪文書…どこまでが忠実?【光る君へ】史実を基に11月3日放送を振り返り:3ページ目
道長の病を喜ぶ怪文書
【光る君へ】ロクな未来が待ってない予感…「藤原通任(古舘佑太郎)」とはどんな人物?生涯をたどる
娍子の同母弟藤原 通任(ふじわらのみちとう)古舘 佑太郎(ふるたち・ゆうたろう)藤原娍子の同母弟。道長が病の際に、これを喜ぶ公卿(くぎょう)の一人と噂(うわさ)される。※NHK…
- 藤原道綱(上地雄輔)
- 藤原実資
- 藤原隆家
- 藤原懐平
- 藤原通任
実資以下の4人は皇后娍子の立后に参列したため、三条天皇一派と疑われていたのでしょう。
こういう時は下手に騒ぐ(わざとらしくリアクションする)より、あえて平然と放置した方が利口です。劇中の実資と隆家はそうしていましたね。
一方で道綱は大いに狼狽え、土御門第(道長邸)まで押しかけて倫子にたしなめられていました。
道綱は腹違いとは言え、道長にとってここまで生き残った唯一の兄(※もう一人、異母兄の藤原道義は没年不詳)。道長の重病を喜ぶ理由はあるでしょうか。
もしあるとすれば、道長がいなくなることで大臣の座が空く≒自分が大臣になれることくらい。
実際に道綱は道長に対して「一度くらいは大臣になりたいから、短期間でもさせて欲しい(意訳)」と情けないことをお願いしています。
そこまでしてなりたいものかね……と思いますが、大納言どまりでは耐えられない現場の空気があったのでしょう。
また三条天皇の春宮時代(即位前)から支えてきたため、三条天皇とそれなりに親しかったことも、噂の一因と考えられます。
実資が溺愛した「かぐや姫」藤原千古
愛娘を喪った悲しみ…平安貴族・藤原実資が「かぐや姫」と呼んで愛した藤原千古。その名の理由は?
古今東西、我が子を溺愛する親は絶えないもので、あふれんばかりの愛情が呼び名に表れることも少なくありません。今回はそんな一人、平安時代に生きた藤原千古(ふじわらの ちふる)を紹介。父親の藤原実資…
百乃(千野祐子。源頼定乳姉妹か)との間に生まれた千古は実資から溺愛され、「かぐや姫」と呼ばれたことはよく知られています。
可愛さのあまり実資は藤原資平らに対して
「私の財産はそのほとんどを千古に譲る。異議申し立ては認めない(意訳)」
と宣言するほどでした。
後に藤原兼頼(かねより。藤原頼宗の子)と結婚した千古は実資よりも早く亡くなってしまい、実資ら一族の財産はほとんど持って行かれてしまいます。
これが実資一族の没落につながっていくのでした。
果たして「かぐや姫」が今後も活躍するのか、楽しみに見守っていきましょう。