【光る君へ】五十日の儀で源倫子が退席した本当の理由は?藤式部が「いかにいかが…」と詠んだ場面を振り返る:3ページ目
道長の自画自賛
……げにかくもてはやしきこえたまふにこそは、よろづのかざりもまさらせたまふめれ。千代もあくまじき御ゆくすゑの、数ならぬ心地にだに思ひ続けらる。
「宮の御前、聞こしめすや。仕うまつれり」と、われぼめしたまひて、
「宮の御父にてまろ悪ろからず、まろがむすめにて宮悪ろくおはしまさず。母もまた幸ひありと思ひて、笑ひたまふめり。良い夫は持たりかし、と思ひたんめり」
と、たはぶれきこえたまふも、こよなき御酔ひのまぎれなりと見ゆ。……
※『紫式部日記』寛弘5年(1008年)11月1日条
【意訳】若宮の誕生を心から喜んでいる道長は、今後あらゆる栄光を手にすることであろう。千年の寿命があっても足りそうにない栄華は、私のような取るに足らぬ者にも恩恵を感じさせずにはいられない。
「中宮陛下。今の和歌を聞かれましたか。とても上手く詠めましたぞ」と道長は自画自賛。調子に乗ってこうも言った。
「私は中宮陛下の父として悪くないと思います。中宮陛下も、私の娘として悪くありません。母上(道長正室・源倫子)にしても、こんなによい夫を持って幸運だったとお思いでしょう」
よほど酔っていたのであろう。いつも以上の放言であった。
機嫌を損ねる倫子、追う道長
……さることもなければ、騒がしき心地はしながらめでたくのみ聞きゐさせたまふ。殿の上、聞きにくしとおぼすにや、渡らせたまひぬるけしきなれば、
「送りせずとて、母恨みたまはむものぞ」とて、急ぎて御帳の内を通らせたまふ。「宮なめしとおぼすらむ。親のあればこそ子もかしこけれ」と、うちつぶやきたまふを、人びと笑ひきこゆ。……
※『紫式部日記』寛弘5年(1008年)11月1日条
【意訳】道長の放言を聞いた倫子もまた、酔っていたのだろう。普段ならば苦笑まじりに聞き流したであろうに、道長の放言に機嫌を損ねて退出してしまった。
その様子にまずいと思ってか、道長は「母上のお見送りをしないと、後で叱られてしまうからな」と倫子の後を追った。去り際に道長は、彰子に言う。
「みっともないと思ってくれるな。こんな父でも、いなければそなたは存在しえなかったのだから」
この言い訳を聞いて、人々はどっと笑い声を上げたのであった。