【光る君へ】五十日の儀で源倫子が退席した本当の理由は?藤式部が「いかにいかが…」と詠んだ場面を振り返る:2ページ目
「和歌を詠めば許してやろう」
……「和歌一つ仕うまつれ。さらば許さむ」と、のたまはす。いとわびしく恐ろしければ聞こゆ。
いかにいかが かぞへやるべき 八千歳の あまり久しき 君が御代をば
「あはれ、仕うまつれるかな」と、二たびばかり誦ぜさせたまひて、いと疾うのたまはせたる、
あしたづの 齢しあらば 君が代の千歳の数も かぞへとりてむ
さばかり酔ひたまへる御心地にも、おぼしけることのさまなれば、いとあはれにことわりなり。……
※『紫式部日記』寛弘5年(1008年)11月1日条
【意訳】道長は「和歌を一首詠め。出来次第では許してやろう」と言ってくる。
恐ろしくて仕方ないが、詠まない訳にはいかない。
「いかにいかが……」
これを聞いた道長は、お気に召したのか二度ほど私の和歌を繰り返し口にした。
「よい歌だ。されば私も」道長はすぐに返歌を詠む。
あしたづの 齢しあらば 君が代の千歳の数も かぞへとりてむ
(私に鶴の如く千年の寿命があれば、若宮様と共に長生きできるのになぁ)
日ごろから本当にそう思っているからこそ、酔っ払っていてもすぐに詠めるのだと感心させられた。