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男専門に体を売る若き美少年……江戸時代の男娼「陰間」は出身地により「格」が違った【前編】

男専門に体を売る若き美少年……江戸時代の男娼「陰間」は出身地により「格」が違った【前編】:2ページ目

男性版の遊郭「陰間茶屋」とは

江戸時代中期には、若い男娼が売春をするための居酒屋や料理屋など「陰間茶屋」とよばれる場所が増え繁盛しました。

後期には、女色禁止の僧侶が多かった芝神明門前湯島天神門前・芝居小屋の多かった芳町(現在の中央区日本橋人形町のあたり)は、江戸の「三大男色地帯」として栄えたそうです。

「陰間茶屋」で男娼として体を売っていたのは、主に歌舞伎役者修行中でまだ舞台に立つ前の10歳〜17歳くらいの少年だったとか。

まだ舞台に立たない「陰の間」の少年たちだったために「陰間(いんま)」「陰子(かげこ)」「陰郎(かげろう)」などとも呼ばれていたそうです。

上方生まれは「上品」関東は「野卑」

陰間は、幼い頃に両親に売られて陰間茶屋に連れてこられる子が多く、遠く大阪や京都など上方から来る子も少なくなかったそうです。

上方の少年は、柔らかい上方言葉や物腰の柔らかさが「上品で高級だ」と評判がよく、「上方から下ってきた少年は高級」と評価されました。

反面、陰間に仕立てても、どこか動作が荒っぽく言葉使いも乱暴な江戸の少年はあまり好まれなかったとか。

そのため、関東出身の陰間は「下り」「新下り」などと称して売り出していたそうで、慣れない下手な上方弁を操って上方出身を装うことはよくあったそうです。

3ページ目 美・芸事・性技の腕を磨いた少年たち

 

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