男専門に体を売る若き美少年……江戸時代の男娼「陰間」は出身地により「格」が違った【後編】:2ページ目
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役者同士の男色スキャンダルも
お客と陰間の男色だけではなく役者同士の男色も流行っていました。
特に話題となったのが、当時の人気役者の三代目・坂東三津五郎と、女形の五代目・瀬川菊之丞の関係。
男色の噂だけではなく、菊之丞が三津五郎の妻に手を出したなどといろいろなスキャンダルが取り沙汰されたようです。
両者とも同じ時期に病死をしたために、「死絵」(人気役者が死亡すると訃報と追悼のために描かれるもの)も、三津五郎と菊之丞が二人セットで描かれました。
「陰間茶屋」遊びが大盛況だった当時、江戸にある全陰間茶屋には225人ほどの陰間がいたそうです。
当時、男色は特別なものではなく色の道を追求する趣味人としては「男も女も性を味わう」というような考えがあったそうで、文化人などもごく普通に陰間買いをしていました。
若く幼くまだ男になりきっていないジェンダーレスなところが好まれていた陰間。
引退後は、小間物問屋などの奉公人として働き普通の町民になる人もいれば、そのまま女性客相手に売春をする「年増陰間」と呼ばれる男娼になる人もいたそうです。
元禄(1688-1704)年間ごろに成立した、陰間が男性客に体を売る「陰間茶屋」遊びですが、江戸時代の天保年間(1841年 – 1843年)に行われた「天保の改革」により風俗に対する取り締まりが厳しくなり、天保13年(1842年)に陰間茶屋は禁止に。
長い男色風俗の歴史に幕を閉じたのでした。
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