自身の宝は家臣たち!天下人・徳川家康を支えた重臣「徳川四天王」を一挙ご紹介:4ページ目
井伊の赤鬼・井伊直政
最後に紹介するのは徳川四天王最年少の井伊直政です。
直政は他の3人と違い、家康の家臣になったのは天正3年(1575)と、非常に遅いものでした。そんな身でありながら、直政が徳川家の重臣になれたのは、天正10年(1582)の天正壬午の乱での後北条家との講和交渉がきっかけでした。
交渉により、旧武田領である信濃国と甲斐国を取得すると、直政は家康から旗本先手役の侍大将に任命されます。その際に旧武田家臣たちも直政の軍に加わることに。
この時、直政は武具全てを赤に統一した山県昌景の武田の赤備えにならい、井伊の赤備えとして継承しました。
また、直政の性格は冷静沈着で寡黙であり、自他共に厳しい性格。そのため、家臣の些細な失敗も許さず斬り捨てることが多く、自身の官位である兵部少輔にかけて「人斬り兵部」と呼ばれる所以になりました。
そんな直政でも正室の唐梅院には頭が上がらず、恐妻家だったそうです。厳格な性格の直政がたじたじになっている様子を想像すると、人間味がありますね。
最後に
今回は徳川四天王をご紹介しました。4人の活躍を見るに、家康は相当家臣に恵まれていたと考えられます。家康も自身の宝は家臣たちと言うくらいなので、家臣たちも良き主君に恵まれていたと考えられますね。
どうする家康では、徳川四天王はどのような活躍を見せてくれるか楽しみですね。
※参考文献:房野史典『時空を超えて面白い!戦国武将の超絶カッコいい話』三笠書房、2018年