上杉謙信×武田信玄「川中島の戦い」で語り継がれた一騎打ちや戦術など、実は創作だらけだった?

歴史 好き太郎

明治時代からあった「ウソ説」

武田信玄の信濃侵攻で始まった、武田家と上杉家の決戦川中島の戦いです。複数回行われたうち、第四次川中島の戦いは特に有名ですね。

この戦いの知名度が高いのは、激戦となり信玄と謙信の一騎打ちが起きたといわれてきたからです。

妻女山に布陣する謙信に、別働隊を送り啄木鳥戦法と呼ばれる奇襲作戦を決行する信玄。しかし、謙信は作戦を見破って逆に信玄を奇襲。大将同士の一騎打ちが起きる大乱戦になった――。

このようなドラマティックな展開で知られる第四次川中島の戦いですが、実は実態はほとんどわかっていません。信頼性の高い史料がなく、有名なエピソードは史実とはいえないものばかりなのです。

合戦の様子を伝える史料は、『甲陽軍鑑』という江戸時代の兵学書だけ。これを編纂したのは武田家家臣の末裔・小幡景憲です。

江戸時代には武田家の戦歴や戦法を記録した軍学書として読み継がれてきましたが、しかしこの書物、明治時代になると評価は一変しました。東京帝国大学の田中義成教授が年代や出来事の誤りを指摘したのです。

信玄と謙信の一騎打ちについては、当時の軍事常識にそぐわないことが指摘されています。そもそも謙信は上杉家当主にして軍の総大将であり、最も安全な最後尾で指揮を執るのが当時の常識です。

仮に乱戦になったとしても陣頭指揮をしていたとは考えがたく、ましてや単騎で敵陣まで駆ける可能性は限りなく低いのです。

2ページ目 戦術も創作だらけ

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