まっとうな統率者だった昭和天皇
昭和天皇といえば「軍部の独走に反対したが、力及ばず傀儡となった悲劇の平和主義者」という穏健な人物だったイメージが今でも根強く残っています。
実際、即位後にアメリカとの関係が険悪になると、国力に勝る同国との対立を避けるよう軍部に抑制を促しています。また対米戦が不可避となった時点でも、最後まで外交交渉を優先するよう軍部に助言し続けました。
また、対米戦の3カ月前に開かれた1938年の御前会議では戦争回避を示唆しています。御前会議は天皇臨席のもとで重要事項を決める際に開かれていました。
しかし、自らが政治介入することを嫌っていたこともあって軍部を抑えきれなかった昭和天皇。そうして戦時中は軍部の操り人形となってしまった――。これが、一般にイメージされている昭和天皇像でしょう。
しかし近年の研究により、昭和天皇は平和一辺倒の理想主義者ではなかったことが明らかになっています。彼は軍部を忌み嫌っていたわけではなく、むしろ軍の統率者という立場から、戦時中は軍事行動に関して積極的に意見を出していました。
そもそも、天皇が軍の統帥権を握る大日本帝国では、作戦案の実行には必ず昭和天皇の許可が必要でした。
後世では、軍部が都合のいい情報で天皇を誤魔化したようなイメージがありますが、それは誤りです。実際には、作戦の詳細や戦地の状況はこと細かに天皇に伝わっていました。
昭和天皇は、軍部をコントロールした上で軍事行動を容認し、きちんとした戦果を挙げることで国益につなげようと考える、至極まっとうな統率者だったのです。