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ついにきた求婚!今後まだ子を生む定子!まひろを逆ハニートラップ…大河ドラマ「光る君へ」6月9日放送振り返り

ついにきた求婚!今後まだ子を生む定子!まひろを逆ハニートラップ…大河ドラマ「光る君へ」6月9日放送振り返り:3ページ目

出家してるのに?!この後も皇子を生む藤原定子(高畑充希)

長徳2年(996年)12月に脩子内親王(しゅうし/ながこ)を生んだ藤原定子。彼女は出家する前から妊娠していたので、これは仕方がありません。

出産してから出家するのが順当でしょうが、長徳の変にともなう混乱の中で出家したため、これも百歩譲ってやむなしと思います。

しかし定子は出家後も一条天皇の寵愛深く、長保元年(999年)には皇子の敦康親王(あつやす)、長保2年(1000年)には次女の媄子内親王(びし/よしこ)を生みました。

劇中でも言及されている通り、出家とは俗世との隔絶を意味しています。

一度出家すればそう簡単に還俗できるものではなく、実質的には死んだも同じ。

かの『源氏物語』でも、主人公の光源氏が愛する継母の藤壺(ふじつぼ)が出家すると、もう一切手が出せなくなってしまいます。出家した者と通じるのは、それくらいにタブー視されていました。

しかし一条天皇はそれをやすやすと破ったことになります。いかに天皇陛下と言えども、神仏を畏れぬ振る舞いを心ある人々が批判したのは言うまでもないでしょう。

宣孝が持って来た『玄怪録』って何?

まさか本当に越前まで来るとは、誰も思っていなかった藤原宣孝。都から土産物を持ってきた中で、特にまひろが喜んだ『玄怪録(げんかいろく)』とはどんな書物なのでしょうか。

結論から言うと『玄怪録』は現存していないようですが、唐の政治家である牛僧孺(ぎゅう そうじゅ)が9世紀に編纂したオカルト?説話集です。

またの名を『幽怪録』とも言い、これは唐の玄宗皇帝にはばかったための改名でした。

また同時代の李復言(り ふくげん)が『続玄怪録』を編纂しており、こちらも内容は現存していないものの、『玄怪録』が人気を集めていたことが察せられます。

まひろも興味津々でこれを読み、後の創作活動にイマジネーションを得たのかも知れませんね。

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